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深大寺周辺を散策して想う

私は歩くのが好き。お金がかからないし健康にも最適。今日は武蔵野の面影が残る深大寺周辺を散歩しましょう。

神代植物公園はかつては防空録地だった

神代植物公園は東京都では唯一の植物公園です。園内には約4,500種類、約10万株の植物が植えられ、梅や桜の名所としても知られていますが、74品種5100株を誇るバラ園が特に有名で、一年間を通じてさまざまなイベントが催されています。

ここ神代植物公園も先の戦争と無縁ではありません。1941年に「防空緑地」として首都東京を南北に挟むように東京では6か所の大緑地帯が造られました。

現存する光が丘公園や砧公園などもそうですが、当時は東京空襲に備えて一般市民の運動休養のための公園とあわせて高射砲や聴音機、気球などの陣地に使用する公園だったのです。ここ神代植物公園もその1つでした。

深大寺は古代朝鮮と関係があるお寺?

植物公園の正門から深大寺門を抜け深大寺へ行きます。深大寺(733年)は浅草の浅草寺(628年)に次ぐ都内で第二の古刹で、お寺を囲むように豊かな湧水が今もこんこんと涌き出ています。このお寺は満功上人(まんくう)によって建立されましたが、深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると深大寺を開いた満功上人の父親である福満(ふくまん)という人は朝鮮系(高句麗)の渡来人と言われています。

絵巻によると満功上人の父福満と、ある豪族の美しい娘が恋に落ちました。福満という人は「いずれの生まれの者とも知らず」としか書いていないそうですが、娘の両親は猛反対、2人は仲を裂かれて娘は湖の小島に隔離されてしまいます。 そこで福満は深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ、彼を湖の小島へ連れて行きました。このことを知って娘の両親も2人の仲を許し、生まれたのが満功上人です。満功上人は父の深沙大王を祀ってほしいと出家、法相宗を学び寺を建てました。それが深大寺であると縁起は伝えています。

この恋物語から深大寺は縁結びの寺としても有名です。昔から武蔵野という地域は高句麗の渡来人が多かった地域、深大寺のある調布市の隣には狛江市がありますが、この狛は高句麗から来ていると伝えられています。

深大寺の檀家さんにも「高麗」という姓を代々継いでいる一族がいるそうですよ。

そして、もうひとつ有名なのが深大寺そば。 この地のそば文化は武蔵野台地を開拓した渡来人によって伝えられ、今では深大寺の名物として食されています。

寅さん?を訪ねて

最後の目的地は「寅さん」ならぬ「虎さん」に会いに虎狛神社を訪ねます。

この神社は深大寺から徒歩10分ほどの所にあります。虎狛神社は深大寺を建立した満功上人の祖父母を祀る神社だそうです。かつて、ここに住んでいたとの伝えも残っています。虎は上人の祖母の名であり、祖父は古い呼び名の狛野の里に住んでいたことから虎狛神社と呼ぶのだそうです。なお祖母の虎はその名から渡来系(高句麗)の女性ではなかったかと言われています。

神社の鳥居には「武蔵野国多摩郡狛江郷」と記されており、ここ深大寺周辺も昔は高句麗の里であったことがうかがえます。

1 COMMENT

私も歩くのが好き!
バラが咲き出したらお散歩に出かけてみようかな…🌹

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