1945年8月15日。日本の植民地支配から解放された三多摩の同胞たちは、新しい希望の実現に向け歩み始めます。1945年10月に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝聯)は、その実現のための希望の灯台でありました。
立川では12月に朝聯三多摩本部が結成されました。翌年には青年同盟や女盟まで結成され、その傘下に立川、武蔵野、府中、西多摩、八王子、町田支部を結成します。1949年には東京都本部と統合し、朝聯三多摩支部に改編されます。
1945年9月からは故郷への帰国が開始されます。わが祖国に帰るにあたり、子供たちにウリマルを習得させ、我が国の歴史や地理を教えないといけないという同胞たちの願いは、国語教習所という形で現れます。同胞たちが多く暮らした立川、府中、調布、福生、二宮、羽村、八王子などでした。
朝聯の結成を契機に民族教育は拡大の一途をたどります。1946年4月には立川、府中、調布、八王子、二宮に朝聯学院が生まれ、三多摩では初等学院6校・学生数365人・教員数8名、青年婦女学院2校・学生数150人・教員数7人になります。