都立化が実施された直後から同胞たちはPTAを基本にしながらも積極的に日本人教員との衝突を避けながら粘り強く交渉します。また朝鮮学校で学ぶ学生たちの真摯な姿勢に接した日本人教師は、民族教育を推し進めようとする同胞たちの要求を黙認するようになります。
一時期は日本人主導で行われていた都立学校でしたが、朝礼台には日本人と朝鮮人校長が交互に上がるようになりました。
1950年朝鮮戦争が勃発し、この期間も度重なる朝鮮学校に対する閉鎖の圧力にも屈せず粘り強く戦い、1955年3月23日、学校法人東京朝鮮学園が各種学校の認可を取得、現在の学校に存続されました。