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【投稿】伊達家の菩提寺“瑞巌寺と五大堂”

梅雨が明ける前に旅行を計画し、仙台から三陸沖を経て、今泉にある中尊寺金色堂を訪ねてみようと計画を立てました。

早朝発の東北新幹線に飛び乗り、仙台を目指します。駅からはレンタカーを借りての旅。松島までは1時間もあれば車でも行ける距離なので、まずは瑞巌寺ずいがんじを目指します。 

日本三景碑

先の東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた東北ですが、松島は三陸沖の被害に比べると津波の被害はさほどでもなかったと聞きます。海に面している五大堂や瑞巌寺の本堂にも津波は到達しなかったのです。本当に不思議です。

松島湾から五大堂

お寺は昔から地の利が良い場所を選んで建てられると言います。

9世紀初頭、慈覚大師円仁じかくだいしえんにんによって開創されたというこのお寺も、仙台を定めた伊達政宗によって5年の歳月を経て再建の工事が完了し、以後江戸時代を通じて伊達家の菩提寺として領内随一の規模と格式を誇りました。

瑞巌寺本堂

そして1953年には、国宝に指定されました。

本堂の入り口は庫裡から入る

参道の右側にある洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えます。

瑞巌寺は供養の場、祈りの場でもあった

瑞巌寺は松島海岸のすぐ目の前にありますが、東日本大震災時は津波の被害を免れ、観光客や被災した住民の皆さんの避難所として開放され、多くの方々を助け復興の励みとなりました。

瑞巌円福禅寺の扁額

震災時の津波は、瑞巌寺へ通じる参道の半分くらいの場所で止まっています。これは松島海岸の海岸線が陸に深く湾入しているいわゆる「湾」と呼ばれる水域になっていることや、湾内に浮かぶ島々のおかげで、津波の威力が軽減されたからと考えられています。

長い参道

このため、家屋の倒壊や人的被害はこの地域に限っては無かったものの、参道を含めお土産店が並ぶ通りは泥に覆われ、参道に林立していた杉並木も塩害により立ち枯れし、倒木の危険性のある杉約300本が伐採されました。

避難所として開放された瑞巌寺には300人ほどが避難、寝泊まりし、修行僧が食事やトイレの水くみなどの世話を行い、近所のお土産店からも食料が届けられました。この一連の瑞巌寺を含めた松島に住む方々の行動はテレビや新聞でも報道され大きな反響を呼ぶこととなります。

重要文化財の五大堂

そして五大堂。慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。

現在の建物は、 伊達政宗が再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築です。堂四面の蟇股かえるまたには方位に従って十二支の彫刻が施されています。

2 COMMENTS

しかし自然災害が増えすぎ💦

伊達っていわれると、政宗より、サンドのみきおを思い出します👀💦
でも、震災の津波が到達しなかったというのは、なんか神がかりなような気がしますね👀
ありがたや~ですよね💕
早く復興すれば良いですよね~

青葉城🏯

伊達みきおは伊達家に縁があると聞きましたよ。
時代が時代なら殿さまになってかもね。楽しそう😀

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