北朝鮮は去年まで、韓国のことを「南朝鮮」と呼んでいた。それは統一を目指す「同一民族」という認識があったからだ。それが今年から一変した。金正恩総書記は「大韓民国」と正式名称で呼ぶようになった。それは相手国に対して敬意を表しているのではない、その逆である。
韓国との関係を「同質関係ではない、敵対的な両国関係」と位置づけ、最高人民会議では「我が国の民族史から『統一』『和解』『同族』という概念自体を完全に除去」すると、強い言葉で宣言した。
私たちが若かれし頃とは、隔世の感がある。2000年6月、北朝鮮の金正日国防委員会委員長と韓国の金大中大統領がピョンヤンで首脳会議を行った。その年の9月に開幕したシドニー夏季五輪では、南北朝鮮選手団が「統一旗」を先頭に入場行進を行い、「ワンコリア」をアピールした。
ちょうどその頃、日本でも「統一選手」を名乗り、メキメキと頭角を現してきた在日朝鮮人3世のボクサーがいた。 徳山昌守(洪昌守)であった。
徳山は、シドニー五輪開幕前の2000年8月27日、大阪府立体育会館で、韓国の曺仁柱が持つ WBC世界スーパーフライ級王座に挑んだ。この試合は史上初の南北朝鮮対決として話題を呼んだ。 韓国では MBCが生放送をした。
歴史的な首脳会談の直後ということもあり、この試合は調印式から有効ムードに包まれた。 両選手は腕を交差させてお互いの健闘を誓い合った。これまでの戦績は曺仁柱が18戦全勝 (7 KO)、 徳山が24戦 21勝(5 KO) 2敗1分け。
この時の曺仁柱は、ここまで5度の防衛に成功しており、その中には元WBA世界ライトフライ級王者山口圭司から二度のダウンを奪い、判定勝ちしたものも含まれていた。
そして試合になった。前半から積極的に飛ばしたのは挑戦者の徳山だった。軽快なフットワークでリズムを作り、左ジャブを顔面に突き刺した。3回、徳山は右フックで曺仁柱をグラりとさせた。会心の立ち上がりだった。
徳山の最大の武器は、槍のような右ストレート。空手経験のある徳山の右ストレートは空手の正拳突きそのものだった。そして迎えた4回、まさにその正拳突きが曺仁柱の顔面を打ち砕いたのだ。ぐしゃっという鈍い音とともに曺仁柱は腰から崩れ落ちた。これはプロ入り後、王者が喫した初のダウンだった。
この一撃で勢いに乗った徳山は、かさにかかって攻め続け、試合はワンサイドの様相を呈し始めた。
この試合に備え徳山は150ラウンドのスパーリングをこなしていた。 その成果が後半に入っても衰えず、スピード、パワー、パンチの精度、全ての面で王者を上回った。観客は「イギョラ、チャンス!」の大合唱。 3000人以上の大応援団の声援が背中を押した。
11回、 バッティングによる減点で1ポイントを失った徳山だったが、大勢に影響はなかった。判定は3対0で徳山。新王者は朝鮮半島が描かれた「統一旗」を背中に纏い、感極まった 。
「チャンピオンになったら38線上にリングを立てて世界戦をやりたい」 だが、その夢は実現しなかった。朝鮮半島は一寸先は闇なのだ。
その徳山だが、大阪でボクシングジムを開くそうだ。あの時の夢の実現に向けて歩んで行ってもらいたいものだ。
※記事は、アサヒ芸能の二宮清純氏の記事を参考に再編集しました。
朝から泣けました。末の子どもが臨月の時に大阪まで行き応援したのが昨日の事の様です。南北の関係に心を痛めているのは、私達だけではなく徳山昌守も同じだと思います。昌守の新しい門出を試合同様に応援したいと誓いました。