8月10日に長野市の「松代大本営」の跡地で工事で亡くなった人を悼み、平和を祈る集いが開かれましたとのニュースを見ました。地下壕の入口にある追悼碑の前で集いが開かれ、市民団体や在日の団体など60人余りが参列して黙とうを捧げたとのことでした。ちょうど私は長野県にいたので行ったことがない松代大本営をこの目で見てみたいと思い、松代へ向かいました。
長野ICを降りて車で5分ほどで目的地の駐車場に到着します。松代大本営の地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)の山の中に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
第二次世界大戦の末期、日本の軍部が本土決戦の最後の拠点として極秘のうちに、大本営や政府の各省などを長野に移す計画をたて、1944年11月11日から1945年8月15日の敗戦の日まで、9ヶ月の間に突貫工事で建設されたもので全工程の約8割が完成していたとのことです。
またこの建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、労働者として多くの同胞が強制的に動員された場でもあります。その数は6000人とも言われています。
現地に行って初めて気づきましたが、地下壕は3箇所に点在してました。その中でも規模が一番大きい象山地下壕の一部が一般公開されています。松代象山地下壕は政府と各省庁が入るための施設になる予定でした。貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、現在無料で一部を公開しています。
入口の右側には亡くなられた在日朝鮮人の慰霊碑が建てられており、黙祷の上ヘルメットを装着、地下壕に入ります。一般に見学できるのは約500mほどですが、硬い岩盤をダイナマイトで爆破しながら作業したであろう痕跡はちゃんと残っています。
民間で運用している歴史館もとても親切な解説員の方が丁寧に説明してくれます。
舞鶴山の地下壕は天皇家と大本営が入るための施設です。現在は気象庁の地震観測所になっています。
皆神山の地下壕は崩落があり、現在は立入禁止でした。
百聞は一見にしかず。ぜひ実際に現地に行って戦争遺跡を肌で感じてみてはいかがでしょうか。
こう言う所にアボジ達は無理矢理連れて来られて重労働をさせられたんだよな。
今、日本と争うつもりは無いけど、過去は忘れたらいけないと思う。
こう言う記事も必要だよね。
投稿者さん、ありがとう。