教育の自主権を奪われた状況での民族教育は困難を極めました。教育用語は日本語になり日本人教師たちによる授業が行われても、朝鮮人教員たちは使命感に燃え朝鮮語、歴史、地理等の民族科目を教えました。
そして何よりも情熱を持って生徒たちを指導しました。朝鮮人教員たちは生徒たちから絶大なる支持と信頼を得ていました。
1951年3月東京朝鮮中高等学校中等部第4回、高等部第1回卒業式が行われました。
「朝鮮学校閉鎖令」によって危機を迎えた朝鮮学校を立て直すためには子供たちを集め、教員たちを養成しなければなりませんでした。でも当時は朝鮮大学校は創立されておらず、朝鮮高校の卒業生たちは使命感に燃え、教員として在日朝鮮人運動の第一線に、日本各地の朝鮮学校に赴きました。