1965年「韓日条約」が締結されると日本政府は「外国人学校法案」を国会に提出し、私たちの民族教育を弾圧しようと破壊しようとしました。そのような状況下でも本校は創立20周年行事を民族教育の更なる発展の契機にするため力を注ぎました。
当時東京朝高サッカー部は全国最強のチームでした。全国高校選手権で優勝した習志野高校(1965年度優勝)、秋田商業(1966年度)を破り、国立競技場で行われた1966年サッカー日本リーグの開幕戦(三菱対古河)に前座試合に招待され、当時高校では最強と言われていた市立浦和高校(高校選手権3位)に3:0で圧勝しました。
1959年から1973年まで行われた東京朝鮮青年学生駅伝「2.8駅伝」でも本校の駅伝チームが大活躍しました。「2.8駅伝」は飯田橋の総聯本部から浅草-葛飾-王子などを巡り飯田橋に戻る一般10区間、中学生20区間によるもので、都内の全朝青支部と朝鮮大学などが出場しました。