武蔵野製作所は1938年に建設された戦闘機の発動機生産(零戦・隼)の最重要拠点でした。1944年11月と12月の二回にわたるアメリカ軍の爆撃で、70名の労働者が犠牲になります。
1944年9月に始まった八王子の浅川地下壕は、アメリカからの爆撃を回避するための目的で建設が開始しました。
現在の八王子市南西部の初沢と、高尾町の山陵を3つの工事地区に区分し、総延長10kmの地下疎開工場を建設する事を決定し、ここに多くの朝鮮人労働者が動員されました。
一日16時間の労働は大変な重労働でした。地下壕周辺の落合、浅川町原、初沢などに多くの朝鮮人労働者が居住し、部落を形成していきます。
中島飛行機武蔵野製作所でも、約450名を超える朝鮮人労働者が関町を中心とした部落を形成、工場の北側の中島航空金属田無工場にも多くの同胞たちが仕事に従事します。現在の谷戸、北原などです。