日本全国津々浦々の山を崩し、どぶを掘り、重いトロッコを引く土木現場や港湾の荷揚の現場に、汗ばんだボロ服の朝鮮人労働者のいないところはなかった。
炭鉱、紡績、ガラス、製糸など厳しい労働現場にも朝鮮人が多かった。しかも同一労働差別賃金が一般的だった。
厳しい監視下のメーデー示威隊の第一線に立つのは朝鮮人労働者であった。朝鮮人は苛酷な労働や差別待遇改善に戦闘的に戦った。日本当局はこうした抵抗を過酷に弾圧迫害した。
1930年代末、戦時総動員体制に入ると「石炭は血の一滴」のスローガンのもと「自由募集」「官斡旋」「徴用」の段階を踏みながら70万〜80万の若者が全国の炭鉱や土木工事現場で、苛酷な労働を強制された。
1940年代になると炭鉱夫の30%〜40%を朝鮮人が占める鉱山も続出した。
「日の出前から職場について、手先がみえなくまるまで~」の一言で、もうその過酷さが目に見えますね~😞
こんちくしょ~💦
100年前と言えば、62歳の我々からしたら、アボジやハラボジ達ですもんね~
こんちくしょ~💦
このような記録や写真は、永久保存ですねっ🤢