Gは手に職を持つことやアートを趣味とする人を羨ましく思っている。ある日、ブログで絵画と作者の文章を読んだ彼はちょっとした衝撃を受けてた。
(こいつ画家のくせに文章もうまいじゃん。書くことだけなら俺にもできるんだけどな。)
長年、事務系の仕事に就いてきた経験から文章を書くことは嫌いではなく、難しいことではないと思える。でも、Gはこれといった話のネタを持っていない。書きたい衝動を冷ます暇を与えないほど、その後もブログでは毎日記事が更新されていく。
そんなある日の出来事。断捨離を扱ったテレビ番組を観ていて、ふと書く題材がひらめいた。断捨離を始めてもいない彼だが、なぜか「これはイケそう!」と確信した。成長過程で、置いてきたり捨ててきた物を断捨離にかこつけて書けそうだな… Gはネットにある断捨離の説明文を序文にし、プラモデルの思い出を書いてみた。かなりの分量だが彼は自分なりにうまく書けたと思い編集部に送った。あ~、編集者の反応が待ち遠しい。LINEに返信がきた。ドキドキ…
“はっきり言って面白くないし、文章が長いですね” キツいなぁ。打ちのめされた。独りよがりだったのか…“でもプラモデルの思い出としてなら投稿で使えます”と返信文は続いていた。なんか悔しいけどその指摘は妙に心にストンと落ちた。
冷静に返信文を読むと、あれもこれもではなく1つのことに焦点を当てた方がいいと、ちゃんとアドバイスを伝えている。(メールの文字は二次元だから温度やアクセントがイマイチ伝わらず、先方の意図を曲解してしまうかもな)気をつける点だと認識を改めるGだった。
彼は送った自分の原稿を読み直した。指摘されたとおり、あれこれ盛り込み過ぎている。序文は必要ないし無意識に自慢してた表現もカットした。やはり編集者の目や編集部を通す工程は重要なんだなあと認めるが、ちょっと悔しい。大胆に削って再送信。編集者は“これでいいと思いますし多分共感も得るはずです”と返信してきた。(ホントかよ?)…
〈プラモデルの思い出〉 と題した投稿がブログに載った。Gは編集者が文章上にあった多くのプラモの写真を探して添付してくれたので余計にうれしかった。反応があってくれと祈る気持ち。コメントがなかったらどうしよう、不安だ。だが、その心配は無用だった。コメント欄に共感の書き込みがあったのでうれしくて狂気しそうな気分になってしまう。この感覚はたまらないぞ。クセになる。
GはFacebookなどのSNS利用者が“イイネ!”を欲しがる気持ちが実感として分かる。それを症候群と呼ぶ意味まで理解できてしまった。確かに中毒性はあるな。ほどほどが丁度いいぐらいに思わないと……
続く
自分の記事がブログに載った…
すごく嬉しいけど、反応はどうだろう?ドキドキワクワクしますね。
そして載った日は1番に自分の記事を読み直して、コメント欄を恐るおそる開けて見る…
ドワ〜ッとコメントが溢れてたら、なんとも言えない喜びと興奮が心に渦巻きますよね。
気持ちいい、俺の記事でこんなに沢山の同級生が反応してくれた、よ〜し、次も何か…
こうして管理人が貼った蜘蛛の糸に今日もまた1人捕まって行くのであった…笑
多数の記事待ってます…by管理人
フフフ…
そう。管理人さんが張り巡らせた蜘蛛の糸が絡まっちゃった。出かけると無意識に写真を撮って、家ではスマホの中の写真をチェック。
一度投稿すると、中毒性が…(^.^;
みんなも体験してみませんか?この”快感”。まずはコメントから(^_-)-☆