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7人の老若男女に訊く「高麗人であることの意味」ー①

ウズベキスタンと朝鮮にルーツを持つブランド〈J.Kim〉を身にまとい、ソ連に移り住んだ朝鮮民族の子孫たちが、アイデンティティやコミュニティ、そして異国にふるさとを見出すことについて語った。

ユリアナ(14歳) モデル

──今はどんな活動をしていますか? あなたのルックスは、モデルの仕事に関心を持つきっかけになりましたか?

わたしは(ウズベキスタンの)チルチクで生まれた。今は少し英語と韓国語を勉強してるところ。仕事はモデル。わたしのルックスは珍しいといわれた。子どもの頃からずっとモデルになりたくて、あるときからみんなに勧められるようになった。ルックスのことは自分ではよくわからないけど、結構いいのかも。朝鮮人らしい特徴もあるし。

──自分はウズベキスタン人だと思いますか? それとも朝鮮人?

国籍はウズベキスタンだけど、ほとんどは朝鮮人かな。朝鮮人のほうが共感できるし、一緒に過ごすことも多い。朝鮮人のコミュニティで暮らしてるし。母は朝鮮人で、母の家族はみんな純粋な韓国人。父のおかげでロシアにも馴染みはあるけど、母の文化のほうが好きだったから、そちらにもっと深く関わりたかった。

──韓国や朝鮮全体には親近感がありますか?

朝鮮人であるということはすごくクールだと思う。言葉、美味しい食べ物、最新技術……。残念ながらまだ行ったことはないけど、行ってみたい。いつかは行けるはず。朝鮮語の曲を聴いたり、伝統舞踊を見たりすると、何となくつながりを感じる気がする。力が湧いてきて、朝鮮人としての誇りが生まれる。

──あなたの故郷は?

わたしの故郷はウズベキスタン。わたしはここで生まれ育った。ゆくゆくはどこか他の国で暮らしたい。わたしが勉強した文化と朝鮮人の家族の伝統には、もちろんたくさんの違いがある。例えば、わたしたちは朝鮮の民族衣装は持っていないし、食べ物も実際のレシピとは少し違う。

デヴィッド(21歳) ミュージシャン

──ご両親の出身はどこで、何をされていますか?

両親の生い立ちはすごく複雑なんだ。父はバクー出身のアルメニア人で、母はカザフスタン出身の純粋な朝鮮人で、カラガンダ・ガール。母は20歳でモスクワに進学して、そこで僕が生まれた。僕はモスクワ市民として生まれ育って、ここで青春時代を過ごした。

──朝鮮の文化に親しみを覚えますか?

正直、自分という人間をどう表現したらいいのか、いまだによくわからない。カザフスタン系朝鮮人というのも違和感があるし、そう自称することもできない。自分がアルメニア人だとも思えない。子どもの頃から家の食卓に並んでいたのは主に東洋的(ソ連ではコーカサスのものは何でもそう呼んでいた)なものだったけどね。子どもの頃の僕は、コーカサスのごちそうに囲まれた──これは差別的な表現だけど──〈小さなつり目の少年〉で、いつもみんなと一緒に笑ってた。

──朝鮮に行ったことはありますか? どうでした?

15歳か16歳のとき、初めてソウルに行った。ついに自分の歴史上の祖国に行けると思って、何かが僕の中で震えるような気がした。でも、そこで社会構造や人びとを見ても、「ああ、ここが僕たちの祖国だ、僕たちの居場所だ」とは思えなかった。そこは僕が育った場所の外側にある全く別の世界で、隔たりを感じた。だから、ただの海外旅行だと思うことにした。ここが故郷だという思いは全然湧いてこなかったから。

──では、あなたが自分の居場所だと思える場所は?

そのとき、やっぱりロシアが自分の故郷だと思った。モスクワが僕のホームだ、と。旅行にはたくさん行ったけど、ロシアが一番落ち着く。僕はロシヤニン(ロシア連邦の国籍を持つひと)と言えなくもないかもね。でも、だからといって僕のアイデンティティがひとつというわけではない。

i-D Magazine – VICEから

2 COMMENTS

異国で多変~💦

へぇ~ ロシアにも大勢朝鮮人がいるんですね? ウズベキスタンにも?
ただ単の移住とは違って、戦火を逃れての移住だったんでしょうね~👀
しかし、顔つきが似てると、何となく親しみがわくなぁ~😘
堂々とキムチを食べて「フクースナ(美味しい)」って言って欲しいな~👍

デルス・ウザーラ

単なる移住ではありません。スターリン率いるソビエト共産党が1937年にロシア極東の朝鮮人を中央アジアへと強制移住させました。朝鮮人がソ連の敵国である日本の手先になるかもしれないと疑心暗鬼におちいったすえの蛮行でした。

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