一般的に幸せな家庭はどれも皆、似たり寄ったりだが、不幸な家庭は不幸の様が一つ一つ違っている。幸福度はこっちの方がもっといいとか、私の方がこんなに恵まれているよと競いがいがあるが、不幸度はどっちがより重いか争ってもしょうがない。
ある同級生のアボジとオモニは再婚同士だが、実はオモニには最初の嫁ぎ先へ置いてきた男子が一人いた。つまりアボジが違う兄に当たるわけだ。義理の兄に会ったのは、彼が大学を卒業した年の上野駅のホームだったという。同級生は、どうしようもない倦怠感と疲労感に苦しんだという。
ほかの同級生は学校でいじめられ、死にたいと思ったことが何度もあったという。でもそうであればあるほど、せめて自分で自分を愛そうと心がけたという。
今は数十人の社員を抱える同級生も、学生時代にちやほやされた同級生も、みんな悲しみや苦しみと隣り合わせに生きて来たようだ。
でも悲しみがあるから、楽しさもひとしおになるのではないだろうか。ウリマルで「クレドサラヤジ」 それでも生きて行かなくちゃという意味だ。
地球上のどの地で、どの国の国民で、どういう家族構成で、などという条件は、自分自身で選べるわけではなく、ほとんどくじ運みたいなものだから…。
最近同級生が、ガンの摘出手術を受けたと聞いた。 手術は成功したが、手術前そして術後の抗がん剤の治療で、苦しい闘病生活は依然として続いていると聞く。
人は必ず死ぬ。ときどき時計の秒針をじーっと見ていて、自分の残り時間はあとどのくらいだろうと思うことがある。私より先に逝ってしまった同級生を思い出す。死はどちらが早いか遅いかだけの差であることに間違いはない。
リレーではないが、順番に様々な思いを託されたバトンを受け取って、また次の走者に渡していくことと同じだと思うのだ。
私は先に逝ってしまった幼なじみが、死の直前に手渡してくれたバトンをしっかり握りしめて、同級生のためにいい走りを見せたいと思っている。
朝から、とても思いが詰まった、決意表明の投稿文ですね😊
人生山あり谷ありで、棺桶に片足を突っ込むまで分からない~とか、生きてるだけで丸儲けとか~ いろいろ名言はあるけど、あまり思いつめないで、しっかり今を生きて行きましょうよ👍そして、来年の東天紅で再会して、大笑いしましょう😂
卒業した同級生の中には、今でも病魔と闘っている同級生がいる。
気も滅入るし、落ち込んだりすることもあるのではないだろうか…
でも、気持ちをしっかりと持って少し元気が出たら、会いましょう。
ん〰️重い。普段はなるべく嫌な事は考えないようにしている。封印です。本当は考えないといけないこともあるけど、そんな時は気を紛らわせてなるべく現実逃避🤣けっこうそれでなんとかなる🤭
それより記事で気になったのは、ウリハッキョでもいじめはあったこと。そんなに辛い思いをした人がいるのかと…
自分が何気なく発した言葉でも相手を傷つけていたと思うと申し訳ない気持ちになる。
せめて、ではないけれど友達を大事にして、いつか笑顔でバトンを渡したい。
昨夜、久しぶりに親友とラインをした。
毎年忘れずに お誕生日のメッセージを贈ってくれる親友。
それから お互いの近況報告が始まる。
話の中で親友は、「今年で闘病生活10年になるんだよ」と・・・
あらためて「生きる」ってことの深い意味を考えさせられた。
親友○○へ
お互い生きてるうちに…
一度会たいなぁ。
死んだら会えない。お葬式にいっても意味ない。お葬式に来てもらってもわからない。
私は数年前からそう考えてます。
だから、会える内はなるべく会えるように努力します。努力といっても会う予定をたてて約束を交わすだけですが。今は、LINEやメールがあるので連絡がとりやすく助かります。どうか、後悔をなるべく無くす様に友達と会ってください。
真面目に一生懸命、生きてるのに、何でこんなに、馬鹿にされなきゃならないんだ⁉️
いつも、自殺の方法ばかり、考えてた(T . T)
こんな思いをするのは、自分だけで、たくさんだ( ̄^ ̄)
だから、子供は、産まなかった。