在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。横須賀基地で働く米海軍の男性と結婚し、一人娘を授かった。30歳のときシンガーとしてメジャーデビューし、娘もやがて同じ道を歩き出す。
娘、クリスタル・ケイが同じ土俵へ
「クリスタルがメジャーデビューして、シンガーという同じ土俵に立った。私もまだ細々とシンガーは続けていて、クリスタルがキャンペーンに行き、翌週は私がキャンペーンに行く、というようなこともありました。
娘の仕事は順調で、忙しさを増していきました。一方私はというと、事務所も辞め、男との関係も宙ぶらりんで、手詰まりの状態です。それでも娘に何か大切な仕事があれば、親として付き添う必要がある。私はこの先どうしたらいいのだろうと、次第に精神的に追い込まれていくようになりました。
そんなとき友人に『ひとつ屋根の下に歌手が2人いて、片や華々しく、片や落ち目という状態なら、ジェラシーを抱くのは当たり前。お母さんとして素直に応援してあげればいいんだよ』と言われ、ふと気持ちが楽になった。友人もやはりシンガーで、私の心情を察してくれたようです。
そうなんだ、いいんだ、これは自然な感情なんだと思いました。2人きりの家族で、2人とも歌手だから苦しいんだ。だったら娘を連れて実家に帰ったらどうだろうと考えました。それなら2人とも歌を歌っていけるかもしれないと、希望の光が見えてきました」
同じ歌手として娘は華々しく私は落ち目
現状を打破するには、周囲のサポートは不可欠だった。親に打診を決意する。
「横浜・山手のレストラン『ドルフィン』で母と会いました。そこでひと言『家に帰らせてください』と頭を下げた。精神的にもうギリギリの状態で、最後の頼みの綱でした。けれど母はすかさず『それはダメよ』と、私の申し出を一蹴した。泣き崩れました。
17歳で家出をして、以来私という娘は生まれていないことになっていたようです。
父が韓国の国立大学に勤め始めたころだったので余計に。いないはずの娘が、まして黒人との子どもを連れて出戻ってこられても困るということでしょう。
希望は打ち砕かれ、お酒に走り、ボロボロの毎日でした。このままでは娘を抱えて生きていけない、死にたいと本気で考えました。私を救ってくれたのは、ひとりの友人でした。
ある日、酔いの抜けない私を銭湯に連れていき、湯船につからせ、タバコを吸いながらじっと待っていてくれた。風呂上がりの私に『これ食べなよ』とおにぎりを手渡してくれた。そのとき“私は一体何をしているのだろう?”と思った。このままではダメだ、強くならなければ、と思った瞬間でした」
健全な精神は健全な肉体に宿る。まずは身体を鍛え、精神を鍛えようと考えた。「ママ友に相談すると、『じゃあ一緒に極真空手に行こう』と誘ってくれた。
空手ならうってつけだということで、道場通いを始めています。運動などそれまでしたことがなく、もちろん最初はヘナチョコでした。
けれど毎日朝練に参加し、みんなと一緒に稽古に励むと、我慢も強いられ、精神的にも強くなっていく。道場には計2年間通い、最終的に青帯までいきました。前向きになるまで1年もかからなかったと思います。一番底を見たら上がるしかない。
気持ちがどんどん変わっていき、もうこれ以上彼と一緒にいたらダメだ、彼とはもう別れよう、と考えるようになりました」(次回に続く)
週刊女性2023年9月29日号
そもそもどこの雑誌で発言してるのかと思ったら、週刊女性なんですね~💦
しかし、いい大人が精神が崩壊してませんか?
男に溺れて、娘と張り合って、どうしようもなく実家に頼ろうとして~しまいには極真空手にたどり着くの?
あまり人にしゃべりたくない、自分の恥部だと思うんだけど、どうどうとしゃべるところが、人格がモンスターなのかな?🤷♂️
結局は、男好き、黒人好き、だらしないという一言に尽きるね。