アーカイブ写真⑫-たい肥小屋から始まった民族教育

四日市朝鮮初中級学校の前身となる「四日市橋北分校」は、阿倉川の同胞が所有する家畜小屋の一角を借りて始まった。

閉鎖直前に撮影された四日市朝鮮人学校の集合写真
四日市朝鮮初中級学校1950年代末の教員たち
写真で見る在日⑪ー奪われた言葉を子供たちに

2 COMMENTS

三日イチ

四日市は行った事無いけど〜
ついつい「喘息」が気になっちゃう💦四日市😓
日本の津々浦々に学校が出来たんですね🙆‍♂️ えらいっ

匿名と言う名の匿名

四日市初中には28期のバレーボール部の朴○吉君(通称パゲ)が大学卒業後に赴任しましたね。
確か今もそこに住んでると…
前回の還暦同窓会で何年かぶりに会ったけど、今も元気かなぁ。

解放後、日本全国で雨後竹筍の様に民族教育が始まりました。植民地時代の抑圧がどれだけ多かったかを物語るひとつの表れかなぁと思いますね。
我等のアボジ、オモニ達が苦労して建てて育てて来た我が母校をしっかり守らないとダメだなと思うこの頃です。

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