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クリスタル・ケイの母シンシア、非行に走った青春時代を振り返る

在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。小学生のときブラックミュージックに目覚め、中学で非行に走り、高校に入るとディスコ通いに明け暮れた。


シンシアの青春

「ディスコ通いをしながら、高校にも一応行ってはいました。ただ教室にいても勉強はまったくせずに、授業中はずっと寝てばかり。1学年上に岩城滉一さん似の先輩がいて、彼に片思いをしていた。先輩に会いたいから、ただそれだけが学校に行っていた理由でした。

朝鮮高級学校の校舎は男子と女子の教室が別々の階に分かれていて、男子と話すときは彼らの教室がある階に行く必要がある。そこで通りがかりの生徒に『誰々さんを呼んできてください』と頼んで連れてきてもらう、というのがお決まりの告白パターンです。

何も言わずにお弁当を渡すのが告白の合図。寒くなる時季だと、腹巻きや座布団などを編んで渡すこともありましたね。夏が終わるころ、みんな編み物を始めていました。ある日のこと、先輩に気持ちを伝えたら、『妹にしか思えない』と言われてあっさり振られてしまった。学校に行く意味がなくなってしまった。さらに家でも事件があって─」

夜な夜なディスコ通い、高校3年の夏に家出

三姉妹のうちシンシアだけが、長女だからと厳しく躾けられてきた。“なぜ私だけが”という納得のいかない思いを抱え続けてきた。高校3年の夏休みに入ってすぐ、積もり積もった不満が遂に爆発する。

いつものようにディスコで夜遊びをして帰ったら、玄関にチェーンがかかっていて、家から閉め出されてしまった。ならばと壁をよじ登って2階から家に入ろうとしたら、母が仁王立ちで待ち構えているではないですか。そこで母に思い切り往復ビンタ、私の中で何かがぷつんと切れてしまった。小さなボストンバッグに洋服と眉墨をわっと詰めて、夜のうちに家を出ました。

まず向かったのが大倉山に住む叔母の家でした。叔母は母の年の離れた妹で、私にとってはお姉さん的な存在で話がわかる。叔母の家に居候しつつ、ディスコに通うようになりました。家には連絡をしないままでした。親も“しばらくしたら帰ってくるだろう”と考えていたのでしょう。

当初はさほど深刻には受け止めていなかったと思います。叔母さんの家にいることは母も知っていたんでしょう」

当時の遊び場は赤坂で、0時以降は六本木のディスコで夜な夜な踊った。ほどなくして働き口を見つけ、叔母の家を離れている。

高校の頃の運動会の写真

「ディスコで知り合った人から紹介されて、赤坂のスナックで働くことになりました。小さい店だったけれど、蝶ネクタイをした店長さんがいるスナックで、お客さんについてお酒を注ぐのが私の主な仕事です。

お店のママが住む場所を見つけてくれて、赤坂で1人暮らしを始めました。サボイホテルの裏に新しくできたワンルームマンションで、家賃は8万円。10代の娘が1人で住むには上等すぎる部屋でしたが、スナックと掛け持ちで喫茶店でもバイトを始めて、その2つで生活は十分賄えました」

昼は喫茶店でウエートレスとして、夜はスナックで働き、仕事が終わるとディスコに行っては夜中遊んだ。

「若かったからタフで、2、3日寝なくても何ともなかった。とにかくディスコが楽しくて、親の気持ちなど考えているヒマも余裕もありません。家にはもう帰らないつもりだった。居所がバレることはないだろうとタカをくくってた。私のマンションを突き止めたのは、思いもかけない人物でした

週刊女性2023年3月21日号