いくつになっても自分にとってのヒーローっていませんか?
私は熱烈なボクシングファンではないが黒人ボクサー モハメド・アリの大ファンだ。60を過ぎた今でも・・・歴史に残る多くのプロスポーツ選手の中でもアリは私の永遠のヒーローだ。
アリは1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。その後プロに転向し、1964年には当時史上最強と言われたソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得。最終的には、通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いた。
金メダルを獲得したある日、アリが白人専用レストランに入店しようとしたその時、人種差別が根強く残る時代でアメリカを代表し金メダルを取った自分ならたとえ黒人でもOKだろうと考えた。しかし予想は覆され入店を拒否されたのだ。怒りと悲しみに暮れる帰り道、アリは『金メダルはレストランで食事をする価値すらないものだ』と金メダルを川に投げ捨てた話は有名ですね。
マルコムXと出会い、その思想に共鳴。反戦の意思表示としてベトナム戦争への徴兵を拒否。米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取ったことでも知られる。その発言と行動に対し、アメリカはアリの世界タイトル剥奪や長期の試合禁止など様々な圧力を加えた。しかしアリはそんな圧力にも屈することなく再度ヘビー級チャンピオンに返り咲く。
アリの魅力は何といっても当時、大男の力任せな殴り合いだったヘビー級ボクシングに、蝶のように華麗なフットワークと、蜂のように鋭いパンチを活用するアウトボクシングを持ち込んだ。後に彼の代名詞となる蝶のように舞い蜂のように刺すだ。
もう一つの魅力はあのトーク力だろう。誰が見てもそれ無理でしょ。と思えることをアリは成し遂げるのだ。そして必ずアメリカにおける人種差別問題を訴える。その姿は華やかさの中に哀愁すら漂わせるからまたかっこいい。
実は今から25年前、アリが53歳の時、即ちアトランタ―五輪の前年1995年にアリは一度だけピョンヤンを訪れている。「平和のためのピョンヤン国際体育・文化祝典」の特別ゲストとして招かれたのだ。
同行者の話として、アリの夫人に替わって付き人としてカメラマンが一人同行していたが、アリは人の手を借りなければ、バスに乗るのも、歩くのも困難なぐらい体調が良くなかったそうだ。当時アリはパーキンソン病を患っていた。
ところが、空港に着いたら、いきなり報道陣のフラッシュを浴びたせいか、それで脳が活性化したのか、脚光を浴びた現役時代が蘇ったのか、定かではないが、急に動作が軽やかになったそうだ。ピョンヤン滞在中に朝鮮を建国したと言われる檀君の墓、檀君陵を訪れた際にアリは人の手を借りず、長い階段を一気に上り、同行者らをあっと驚かせたそうだ。
モハメド・アリのようなボクサーはもう二度と表れないだろう。アリは私の永遠のヒーローだ。
あなたにも心の中に永遠のヒーローいませんか?
プロボクシングでは、モハメッド・アリが最も好きでした。
本名、カシアス・クレイ。(アフリカ系アメリカ人)
小学生の頃その名で知り、近所の子供たちでグローブをそろえボクシング(ごっこ)をしたものです。
一番印象に残る試合は、当時世界チャンピョンだったジョージ・ファーマンとのタイトルマッチ(1974年10月30日)。
勝てないとの大方の予想を覆し、8R終了間際のKO勝利。
中3の時、あるトンムが授業をさぼり宿直室のテレビを観て、結果を自分らに興奮しながら伝え聞きました。
その後自分も、テレビで試合を観て興奮し感激。
現代にも蔓延るアメリカの黒人差別問題を見るにあたり、モハメッド・アリは、ボクシングだけじゃなく、人間の尊厳を守るため戦った、スーパーヒーローではないかと思います。
中3の10月と言えば、格闘技には全く興味が無く、アボジが夕飯時に見ているボクシングを見たくなくて「早食い」してました。笑
その頃の私は、南沙織や天地真理、ひろみGO等のアイドルの真似をしたり、教室で「スター誕生ごっこ」をしたり🎤🤣
クラスメイトとのお手玉の勝ち負けで本気のケンカに発展したり笑。
幼い青春を過ごしていました❇️😊
趣味や過ごし方は違くても同じ時を過ごした同級生。なんだか感慨深いな~💕