春のうららかさを感じよう

【投稿】篠山紀信さんがみたレンズの先

カメラのレンズを通して昭和・平成・令和という時代を切り取ってきた巨匠・ 篠山紀信さんが、1月に83歳でこの世を去った。

1940年生まれの篠山さんの父親はお寺の住職だったそうだ。篠山少年が進学したのは、増上寺系列の芝中学校。 そして志望大学に落ちて選んだ進学先が、日本大学芸術学部写真学科だった。

卒業後は広告制作会社に就職し、写真の撮り方を覚えたが、68年にフリーに転向し、以降、週刊プレイボーイや月刊明星などの商業雑誌を舞台に、山口百恵や松田聖子など、時代の象徴を多数フレームに納め始める。

時を同じくして妻になる南沙織とも明星の仕事で出会ったそうである。

80年には、ジョンレノンとオノヨーコのアルバム「 ダブル・ファンタジー」のために2人のキスシーンを撮り、それは世界的な一枚となった。

でも、篠山紀信の名前を聞いて連想するのは、やはり「ヘアヌード」だろう。 ブームの足掛けになったのは 91年に手掛けた樋口可南子の写真集だった。

しかし、最もヘアヌードをこの世に浸透させたのは、同年に発売された宮沢りえを撮影した「Santa Fe」だろう。

篠山紀信さんの撮影はいつも演者の一人になったつもりで、 篠山劇場の中に入れてもらっているようなイメージだったという。その世界に入れてもらって、撮り終わりにおっしゃる 「そう、それでいいの」というフレーズをもらうと安心したものだと、壇蜜さんがツイートしていた。

 篠山紀信は被写体にも愛された人生だった。 お世話になりました。

4 COMMENTS

百恵ちゃ~ん💓ポッチ👀

一番最後の「お世話になりました!」って👀 どのようにお世話になったの?例の?💦
今では普通にヘアー出すけど、当時は厳しかったんだよね~💦
私も、食い入るようにヘアーを探したもん👀 で、お世話になりました💓?ん?
結局そっちかぃ

俺もお世話になったかな

百恵ちゃんもこういう時があったんだな~。
今もお美しいですが、、、。

安曇野も挑戦?

この頃は雑誌GOROなどで盛んに出てましたね。加納典明、アラーキーなども過激な写真を撮っていたね。
安曇野さんも過激な写真、お願いしますよ!

荒木さんにもお世話になりました

篠山紀信さんはキレイなヌード写真を撮ってましたね。
加納典明と比べたら過激ではなかった。
私の好みとしては…荒木経惟かなあ~。人間臭さ、泥臭さがあったなあ~

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