大日本帝国の国策に従って「戦犯」となり、傷痍軍人となり炭鉱夫となった者を、旧植民地出身者というだけで補償から外し、サハリンに放置するなどの未解決の戦後処理問題が今も残る。そこには日本人戦犯や戦死者、傷痍軍人が恩給や年金の支給を受け、旧満州残留「孤児」が国費によって帰国したのとはまったく別の日本という国家の顔がある。
差別政策の根拠は1952年4月、在日朝鮮人は無条件に日本から排除するという法務省民事局長の一片の通達にあった。 以後、戦後補償や福利厚生などの法律には「日本国籍に限る」「外国人は除く」などの但し書きが付された。
在日は大学を出ても日本企業への就職は皆無であった。国民金融公庫からの融資や公営住宅への入居、国民健康保険への加入も拒否された。ゴルフ場の会員に加入できなかったのはそれど遠い昔の話ではない。
1950年代末〜70年代に起こった在日コリアンの差別を象徴する小松川(李珍字)事件、寸又峡ライフル(金嬉老)事件、日立就職差別(朴鐘碩)裁判、法職採用差別(金敬得)問題もまた、「BC級戦犯」や「傷痍軍人」、サハリン問題と根を同じくする。
その意味で在日によるこれらの差別撤廃への叫びは、普遍的人権問題であると同時に、日本という国の民主主義の成熟度を問うリトマス試験紙でもある。
ほんとにムカつきますね~😞
子供頃の「金嬉老事件」は衝撃を受けた記憶があります~
差別と言うか、過去を隠すんじゃなくて、直視しろよっ~ニッポンの皆さん~😢
人権が最も遅れている日本ですもんね~💦 今後に期待したいですね~🤔
そのためにも、我々が頑張れることはやらなきゃ~👍 ファイテン~