1919年の2・8独立宣言は、在日朝鮮人留学生が展開した民族運動である。民族運動の原点である3・1独立運動は、朝鮮の全人口の1割にあたる200万の民衆が立ち上がったが、その導火線となったのが、在日朝鮮人留学生による、2・8独立宣言であった。
前夜からの大雪が積もる東京・神田の東京朝鮮基督教青年会館前に、在東京留学生のほぼ全員である600人が結集し、高らかに「独立宣言書」を期読した。暗黒の状況下で、しかも日本の心臓部である首都・東京で、孤立無援の中、若き志士らは何を信じて、いかなる未来の名において立ち上がったのか。
第一次世界大戦が終結し、世界秩序の再編が叫ばれていた当時、アメリカのウィルソン大統領は「民族自決」を宣言。進行中のロシア革命はロシア帝国内の諸民族の自由を旗幟とし、中国でも革命の胎動が聞こえてきていた。上海にもウラジオストックにも世界情勢の変化を注視する若者がいた。
東京の留学生は、かれらと密接な連絡をとっていた。それが、朝鮮民族いまだ死せずの宣言となった。世界史の潮流を見抜いた目は高く評価されねばならない。
また、この運動の献身性、組織性は、例を見ないほど崇高といわれるが、その所以を一つだけ紹介しておくと、この宣言に結集した600名の学生のうち395名が帰国、3・1運動の示威の先頭に立ったことである。
昔から関西の「留学同」は、ものすごく強くて、圧倒されていました~👍
何年か前に、日暮里のラングッドで、「留学同」の60周年記念公演に参加しました。そのパネラーや出演者の熱いこと~ 熱いこと~😆
一緒に目頭を熱くした記憶があります~
その源流が、この「在日朝鮮人留学生」の民族運動なのですか?
一人勝手に納得してますが… そうなんだぁ~
1910年に李完用は、韓日併合条約に調印しました。前年には、韓国統監府初代統監伊藤博文が安重根によって暗殺されます。歴史の皮肉か、伊藤は併合には積極的ではありませんでした。併合条約調印後の宴会で初代総督府総督の寺内正毅は、「小早川、加藤、小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらん」と得意満面に詠んだと伝えられています。豊臣秀吉子飼いの小早川秀秋、加藤清正、小西行長という戦国時代の猛将がなし得なかったことを、自分は成し遂げたと誇ったのてす。歴史にタラレバは禁句ですが、何故、朝鮮が自ら改革でなかったのか?どうしても、考えてしまいます。
感想を申し上げます。
百年後を生きている私達。
個人的にはこれからも先、ずっと日本で暮らし私の子、孫代々日本で生きていく訳ですが…
私達に使命があるとすれば、朝鮮半島と日本の友好の架け橋になる事だと私は考えます。
なにも大袈裟に行動するのでは無く家庭では、子や孫に自分達のルーツを きちっと認めさせ、自負心を持ち 堂々と生きていく事を伝える。
長くなるので、このへんで終わります。
いろんな事情があるけどさ
知ろうよ互いのイイところ
希望の苗を植えていこうよ
地上に愛を育てようよ
愛することをためらわないで🎵
とサザンオールスターズ(ピースとハイライト)は歌っています。
この歌を聴く度に号泣します。
歴史の事は知らない事ばかりでお恥ずかしい限りですが、低い知識ながら在日としての血が流れているようです。