先日取引先の社長が、17色でキレイに彩られたピンバッチを胸に着けて、会社を訪れました。私が「キレイなバッチですね」と言ったら「これは SDGs(持続可能な開発目標)のピンバッチだ」と教えてくれました。
でもその会社はSDGsとはまったく無縁な会社なんです。正直、悪いことでも咎めるべきことでもないのですが、私自身がバッジをつけろと言われたら丁重にお断りさせていただきます。
SDGsとは何か、一言で言って私はそれは壮大なキレイゴトだと思ってます。特にバッジを胸につけることは「私は今キレイゴトをやってます」と宣言しているに等しい気がしてなりません。どうにも恥ずかしくてたまらないんです。そう感じるのは私だけでしょうか。
17のゴールはすべてキレイゴト。1番目の世界から貧困をなくすことは「正しいこと」に思えるかもしれませんが、もしかしたらそれは私たちの勝手な「押し付け」であって、貧困地域とされる所に暮らしている人たちは、十分に幸せなんだからほっといてくれと思っているのかもしれません。
実際SDGsに触発されて貧困地域を訪れた大学生が、現地の人が意外にも幸せそうにしている姿を見て「かわいそうな人たちを救う」という考えが根底から揺らぎ、帰国後に他の道に進むというケースもままあるそうです。
日本の企業でも地球環境に良くないと言って、プラスチック製品に代わって紙製品の使用に替えたと宣伝している企業がいますね。 まあ、悪いことではありませんが、プラスチックストローから紙のストローに替えたのに、依然としてフタはプラスチックのままだったりする。
スーパーのレジ袋も有料化されましたが、ショーケースの棚にはプラスチックの容器に梱包された商品が陳列されているんです。それで地球環境に配慮しているのでしょうか?レジ袋とプラスチック容器は何か違うのでしょうか?本当に滑稽に思えてしょうがないのです。
そもそも、地球温暖化の主たる原因とされている二酸化炭素は、人類にとって「毒」なのでしょうか。植物にとって二酸化炭素は光合成に欠かせないものです。最初の生命が誕生したとされる約40億年前には、地球上に酸素はほとんどなく、生命にとって酸素の方が「毒」という時代があったはずです。二酸化炭素が「悪」というのは、あくまでも現代の人間の都合に基づいた、勝手な解釈に過ぎないのではないのでしょうか。
現代の時間軸から見た正しさだけに基づいて、二酸化炭素が「悪」と決めつけると、新たに地球環境が変わった時に、私たちは適用できなくなるのではないでしょうか。
地球上での生物の進化は、地球環境の変化でも多様な生物が存在し、環境の変化に合わせて進化してきました。生き残る生物は生き延び、そうでない生物は滅びました。つまり世の中は無秩序でカオスな世界です。このような世界では無計画な歴史が結果オーライで、今に至っているのだと思うのです。
地球上での生物の進化に、絶対的な正解なんてない以上、SDGsもぼちぼちやるぐらいに考えるべきでしょう。 必死の形相で真面目にSDGsに取り組んでいる人たちを見ていると、私は何か窮屈そうで幸せそうに見えないのです。
考えてみれば、私は小学校から大学まで壮大なキレイゴトを教えられ、それを信じてきた時もありました。みんなが平等な国、税金がない国、医療費がただの国…。
しかし、人生経験を積み重ねて来て、それは壮大な「嘘」だということを、イヤというほど私たちは経験してきたのだから…。
確かに押しつけがましい感じ👀💦 政治家が、胸に赤い羽根を付けてるのと一緒?
そうそう~価値観の押しつけは良くないよね👀
共有したい価値観はいっぱいあるけど、お互いにリスペクトしなきゃ、一方通行💦
一番幸せな国は、フィンランド・デンマークだって~💕👀
日本は、それでも50位くらい~👀 北は?💦
そうそう、赤い羽根募金もそうだな。ニワトリの羽根を赤く染めて闊歩している人は「私募金しましたよ」と周囲に見せているようでね、恥ずかしいったらありゃしない。
それを言っちゃあおしめーよ🤭
地球が温暖化していることは「科学的事実」かもしれないけれど、その原因が炭酸ガスなのかは推論の域をでません。なのに役所や報道機関が言いだすと、それが「真実」であるかのように錯覚して、他人の目を気にしながら暮らす。まるで戦前日本の隣組です。たがいに監視させるところは、SDG’sのバッジも同じです。