私は今から、少し「勇気」を出して自分についてお話します。最後まで読んで頂けると幸いです。
幼い頃からサッカーが大好きでした。小学生の頃は地域のサッカークラブ、そして朝鮮学校のサッカー部でボールを追っていました。夢は、朝鮮代表でワールドカップに出て優勝すること。
なでしこジャパンが優勝した2011年。その瞬間を、まだ12歳だった私がライバル心むき出しで見ていた事を鮮明に覚えています。この場に立てたらいいな~という淡い期待ではなく、必ず立ってやる!という確固たる想いの方が強かったことも。
サッカーと共に歩んだ日々が自分の国、そして自分のルーツを教えてくれました。「女子サッカーをしている」と言ったらたくさん大人達が「じゃあ、将来はなでしこジャパンに入るんだね」といわゆる“期待”を込めておっしゃてくれました。
でもそこには「いいえ、私は朝鮮代表になります」と胸を張って言っているまだ12歳の「ガングロ短髪サッカー少女」がいました。
話が少し変わりますが、私のプロフィールを見て驚く方がたくさんいらっしゃいます。新しく入ってきてくれた女子サッカーの一年生も、もしかすると同級生でも聞きたいけど今さら聞けないっていう子がいるかもしれないので、簡単に説明します。
私は、在日朝鮮人3世です。生まれも育ちも日本、そして大阪です。私のルーツは朝鮮半島にあります。プロフィールにU-17“北朝鮮“代表と書かれているのに実際喋って見たら日本語めっちゃうまいやん。って困惑する人がたくさんいらっしゃいました。笑
「何歳の時にこっちにきたの?」とよく聞かれます。「大阪生まれ大阪育ちです!」って答えると、
相手「あ、じゃあお父さんかお母さんが渡ってきたのか!」
私「両親も日本生まれです!」
相手「じゃあ、もうほぼ日本人だね」
なんでそうなる??(笑)って思いますけど、この様な会話は日本に存在する朝鮮学校、ウリハッキョ(朝鮮学校【ウリ:私達の、ハッキョ:学校】)あるあるかも知れません。笑
なぜなら、自分自身の見た目は日本の方と変わりないですし、日本語ももちろん喋れて漢字も好きです。ごくまれに、日本の友達が知らない日本語やことわざ等を知っている場合もあります。(笑)
そんな私だから、生じる一つの疑問もあります。私を朝鮮人として証明してくれるのは、一体なんなんだろう。それは、自分自身が抱いている「祖国に対する想い」だと思います。この考えを、生まれた時から持っていた訳ではありません。
まさしく、サッカーという素晴らしい競技を通じで、ウリハッキョでの出会いを通じて、そして何よりも、祖国―朝鮮での出会いによって得た考え、真理です。
自分の国にたった数回、片手で数えられるくらいしか行ったことがない私がそこで実際に自分の目と耳と、心で得た強い想いです。
私がこんなにも祖国に対して想いを寄せるのはなぜなのか。
日本で生まれ育ったからこそ自分のルーツをしっかりと認識し、自分がどう生きて行くのかを分かる為だと思います。自分が何者なのかを忘れ、もしくは分からずただ漠然と生きていくなんて少しもったいないなと、私は思います。
日本に住んでいてテレビなどで朝鮮(いわゆる“北朝鮮”)、このワードを聞くだけで自分達に非難の目が向いている様に感じます。朝鮮人である事を言いにくい時、言いたくない時もあります。それは、メディアの「影響」で「北朝鮮=悪、怖い、謎」というイメージが自ずと定着している方がいらっしゃるという事を幼きながらに感じる事があったからです。
朝鮮学校に通っている生徒だと気づいた通りすがりのおじさんに差別的暴言を吐かれたり、決して口にしてはいけないような言葉が書かれた紙くずを投げられたりもしました。朝鮮人である自分を隠したい、知られたくないと思う事がありました。
それでも今、臆する事なく朝鮮人としての自分を包み隠さず、ありのままで生きたいと思うのは、しっかりと学んで揺るぎない軸を培ったからです。なにも学ばずに「李誠雅」という名前や国籍だけ朝鮮人で、「中身」を学んでいなかったらすでに負けていて、それこそもったいない人生を送っていたと思います。
私が思う「もったいない人生」とは在日朝鮮人としての存在意義を認識せずに生きることです。在日朝鮮人だからできること、私にしか出来ないことがきっとあるはずです。
さっきも言ったようにこれを読んでくださっている方々に「北朝鮮=怖い、悪、謎」というイメージがあるとします。でも、そのイメージは実際行って得た感想ではなく、メディアによって持たれたイメージであるのならば、それはまた人の力で変えることが出来るのではないのかと思います。
それは、私だから出来ることの一つです。日本国民全員は無理でも、少なからず日体で出会って、関わった人には伝えたいです。
こういう考えや朝鮮人としての誇り、アイデンティティを確立できたのは間違いなくウリハッキョに通い、ソンセンニン(先生)、トンム(友達)と出会い、祖国の言葉、歌を学び、そして歴史を学んだからです。
そして何よりも大切な「誰のために、何のために、どう生きるのか。」人として本当の価値とは何で、幸福とは何なのかを学べたからです。
「李誠雅」という人間の軸、揺るぎないしっかりとした軸を持つことが出来ました。お金には決して変える事の出来ない一番大切な事を教えてくれて、そして勇気を与えてくれた12年間のウリハッキョでの民族教育に心から感謝したいです。
これからもウリハッキョ、そして民族教育を守るためにも自分ができる事で貢献したいです。
ありのままの「李誠雅」という人間を受け入れてくれたサッカー仲間のみんなや日本の友人達に感謝します。そして、祖国―朝鮮とスポーツを通じての交流を続けて下さっています、日本体育大学 松浪理事長、具志堅学長を始めとするすべての関係者の皆様に感謝したいです。
本当にありがとうございます。できる事なら、私が在学中にもう一度日体生として、サッカー部の仲間と祖国に行きたいです!!
みんなに私の祖国を自分の目で一度見て欲しいです!ガングロ短髪サッカー少女の頃に抱いた大きな夢―朝鮮代表でワールドカップ優勝という夢がいつも背中を押してくれています。
あの頃も今も、そしてこれからも決して消えることのない揺るぎない想い、−《이루어야 할 꿈》叶えなければならない夢− その夢のために日体大に進学しました。ここでたくさんの出会いがあり、その出会い全てが私を成長させてくれています!
サッカー部の監督、コーチ、スタッフ、先輩や後輩、同級生のみんなと出会えたこと、大学の友人たちと出会えたことに心の底から感謝しています。
私は今、咲く準備をしています。下へ下へと根を伸ばしています。深く深く根を張っています。咲くべき時が来たら、力強く咲けるように。私の咲く場所―それは、朝鮮代表として国を背負い闘う時です。
長くなりましたが最後まで読んで頂き有り難うございました。今回、私の書いた文が皆さんにとって何かの「きっかけ」となれば、嬉しいです。
これからも、精一杯頑張りますので日体大FIELDS横浜と日体大女子サッカー部の応援宜しくお願い致します!
・プロフィール
李 誠雅(りそんあ)3年
・経歴
東大阪朝鮮中級学校サッカー部
→セレッソ大阪堺ガールズ
→日本体育大学
→日体大fields横浜
U-17朝鮮民主主義人民共和国代表
この記事は全文日体大fields横浜から引用しました。