春のうららかさを感じよう

在日画家ー조양규(曺良奎)

曺良奎は20歳の時(1948年)身を隠すように韓国から密航船で日本に渡って来た。日本では、深川枝川町の朝鮮部落に身を置き、絵を描き続けた。

絵が売れるわけもなく、生活の為に荷物運びなどの労働をしながら生活の糧を得る。後にその労働の体験が彼の代表作となる。それが「マンホール」と「倉庫」シリーズだ。

「密閉せる倉庫」は東京国立近代美術館に所蔵され、私も何度か観に行った。作品「マンホール」は著名な日本のコレクターに渡り、今も宮城県立美術館に展示されている。若い頃にこの作品を観に宮城まで行った。作品の前に立った時、何とも言えない感動をおぼえた。

1957年作「密閉せる倉庫」東京国立近代美術館 蔵
1952年作「枝川町朝鮮人部落A」

曺良奎の一連の作品は、過酷な時代を過ごした在日コリアンの姿を見事に描き残しただけでなく、彼らが運命に翻弄された悲惨な姿としてではなく、人が本来持ち合わせている、生きる意志の力強さをキャンバスに表現したと思うのだが…。

1959年作 「マンホールD」

興味ある方、東京国立近代美術館で彼の作品に触れてみてはいかがですか。


曺良奎(チョヤンギュ 1928~没年不詳)

画家。慶尚南道晋州生れ。1946年、国立晋州教育大学の前身、晋州師範学校を卒業後、晋州市内の初等学校の教師となる。プロレタリア美術への関心が、南労党に身を投じ、政治活動に参加。蛇虎島、釜山、馬山と逃亡生活を送り、1948年密航船で渡日、深川枝川町の朝鮮人部落に住む。1952年武蔵野美術大学中退後、日本アンデパンダン展、自由美術展などに初出品し、1953年文芸同での活動を開始する。社会性を主題とした「朝鮮に平和を」「仮面をとれ」「密閉せる倉庫」などの倉庫連作や「マンホール」の連作を発表「マンホール画家」と呼ばれる。 1960年、新潟からウリナラに帰国、チェコスロバキアに美術留学、帰国して短期間の活動の記録を残して、消息不明となった。分断国家の政治と韓日の不幸な歴史背景が生んだ、社会性の強いリアリズム作家である。「70年代以後、日本の美術は社会的主題を喪失してしまった。曺良奎は戦後美術の中で韓日の交流、そして韓日美術に大きな影響を与えた。彼の作品を除くと、日本の美術史は重要な一角を欠くと言えるほど、重要な位置を占める」と美術評論家・針生一郎は批評する。


1 COMMENT

私も観た。

この作家の絵を私も観に行ったことあります。随分と前ですが…
展示されてる他の作品とは違う独特な絵でしたよ。同じ在日だから通じるものがあったのかなぁ。
美術館ではシーズンごとに展示変えするので行かれる前に展示されてるか美術館に問い合わせて尋ねることをお勧めします。

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