春のうららかさを感じよう

1枚のモノクロ写真ー“アボジはB級戦犯”

私の父は日本軍として戦争に連れて行かれ、戦争犯罪者B級戦犯として10年間巣鴨プリズンに拘束されていました。その時の巣鴨プリズンに拘束されていた時の写真です。

写真に写っている人物はすべて韓国人一世で、アボジは右から二番目です。日本国を相手に不条理と名誉回復を訴え在日韓国人B級戦犯訴訟をしました。(当時は被害者20人)。朝日新聞社と日本弁護士協会の協力の下、数度にわたり訴訟を起こしましたが全て敗訴しました。今は全員他界しました。

4 COMMENTS

知らなかった

こういう事実があったことに衝撃を受けています。
そして自分の無知が恥ずかしいです。
私の受けた民族教育の中でこの事実に触れた事はないように思います。
少なくても私の記憶にはありません。
民族教育の目的が民族意識を覚醒させ、私達の歴史や文化を知ることに
あるとすれば、私達同胞のこのような歴史的事実や苦難をもっと掘り下げて学ぶべきだったと思います。
朝鮮や韓国の歴史の教科書には乗らない私達在日同胞の歴史にこそ重きを置くべきだったと思います。
理不尽に戦場に連れて行かれて、戦犯の汚名を着せられた方達をを支援したのが
同胞組織ではなかった事にも寂しさがあります。
今は皆さん他界されたとの事ですが、さぞ無念だったとお察しいたします
自分が無知で不勉強なのに偉そうに言ってしまいました。

大好きだったよ。アボジ。

私のアボジは予科練で終戦を迎えたと言っていたのを、思い出しました予科練で”朝鮮人”と言う事で理不尽に殴られた…と 晩酌時に…
終戦後ばったりその上官に出くわした時、めっためったに仕返しした。私が13の年に父は亡くなりましたので、今でも父の晩酌時を思い出します。私がお酒をつぎタバコに火を付けると父は一言[タバコに火を付けるのは、アボジと未来の旦那さんだけだよっ]
ポックリ無くなったアボジのたった一つの私だけへの遺言。これだけは守りました。

図書好きな同級生

岩波現代文庫「朝鮮人BC級戦犯の記録」を取り寄せ、拝読しました。日本の戦争責任の末端を担って戦犯に問われた朝鮮人の多くが監視員だったこと。タイ、マレーシア、ジャワの俘虜収容所での実態や、監視員になった経緯、戦犯としての扱い、国家補償を要求する戦いなど、この歳になってもまだまだ知らなかったことがこの本に詰まってました。そしてその戦いの中で投稿者のアボジも先頭に立って戦って来られたことを知りました。ありがとう。

いろんな思いをしながら!

図書好きな同級生さん、朝食しながら主人とこの話題について話しました。
主人は昔、この本を読んだそうです。
朝鮮人は銃で戦うより、収容所の監視員がほとんどだったらしいと!
在日は1200人から1300人居たと話していました。
しかし韓国でもしこれを投稿したら、大変なことになるだろう!
批判が殺到するし、関わると大変なことになる。と言われました。
毎年、B級戦犯問題はニュースで流れますが、このように在日の親世代の人達の一部が強制的にこの経験をしたことの経緯などを記憶に残しておきます。
ありがとう。

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