紀元前3世紀、新興国家ローマは強国カルタゴと地中海の覇権を争い戦っていました(ポエ二戦争)。数ある戦闘の中でも、カルタゴの名将ハンニバルのアルプス越えはあまりにもに有名です。
地中海に展開するローマ海軍を避けるため、何とカルタゴ軍は、スペイン経由でローマの背後を攻めるべく、アルプスを越えたのです。しかも象を数十頭も連れて。
背後を攻められたローマは大混乱。2000年以上に渡り語り継がれるハンニバルの奇襲です。国家存亡の危機に瀕するローマ。ハンニバルの名声をいやがうえにも高めた見事な戦術でした。
しかしローマには、若き名将スキピオが現れます。スキピオは、ローマ軍がハンニバルに敗れる戦闘に何度も従軍をし、ハンニバルの能力を熟知していました。そのスキピオの活躍により、ハンニバルはカルタゴへ帰還せざる得なくなります。
紀元前202年(同年、中国では項羽と劉邦が雌雄を決する垓下の戦いが行われていました)、ハンニバルとスキピオがザマで対峙します。ハンニバルはスキピオ軍を探る為に、斥候を敵陣へ送り込みますが、斥候はスキピオ軍に捕らえられます。
しかし、スキピオはなんと、斥候に自陣の様子をつぶさに見せた後に解放します。そして「見た通りのことをハンニバルに告げるように」と、斥候に伝えます。
斥候からの報告を黙って聞く老将ハンニバルは、スキピオ恐るべし、スキピオとは一体何者なのか、と自問します。そしてハンニバルはスキピオへの会談を提案し、スキピオも快諾します。史上名高い「ザマの会談」が実現したのです。
まず老将ハンニバルが口火を切ります。「われわれはともに、自国の存亡を賭け戦っている。この危険を回避する為には、両国間の争いを止めるしかない。私にはその用意がある。」と、対して若きスピキオは「この戦争を始めたのは、ローマではなくカルタゴ側である。あなたのイタリア退去も、あなたの意思によるものではなかった。
しかも、ローマで承認していた講和を決裂させたのはカルタゴ側である。私の立場にハンニバル、あなたが立つとしたら、あなただったらどうされるのか。ハンニバルよ私達は戦うしかないのだ。」両者の会談は、決裂しました。
史上、同等の能力を持つ者同士の戦闘ですら稀な例であるのに、その二人が対戦の前日に会談するという歴史上類を見ない画期的な会談が行なわれたのです。 まさに歴史の醍醐味です。
さらに同年には、中国で項羽と劉邦が雌雄を決する戦い(垓下の戦い)をしていたというのも歴史の妙ですね。西の大帝国・ローマと東の大帝国・漢は、ほぼ同時期に存在していました。
そして今、中国が進めている一帯一路(広域経済圏構想)の終着点は、ローマなのです。私には偶然とは思えません。必然のように思えてならないのです。
【歴史】パクスブリタニカへの道「アルマダの海戦」 【歴史】中世ヨーロッパ最大の権力闘争「カノッサの屈辱」
へぇ~ 紀元前にこんなことがあったんですね~👀
その頃日本はどうなっていたんですか?
歴史って面白いですね~😊
えっ 像がアルプスを越えたんですか?さぞ足が痛かっただろうね💦
当時の日本は、弥生時代ですから稲作が始まり、獲得経済(狩猟・採取)から生産経済へ移行した頃ですね。この時期に半島から稲作技術を持った集団が移住してきたと考えられています。
うーん🧐
中華第一思想はやっぱり変わらないと思うな😱
地政学的に大国に挟まれた朝鮮もまた変わらんと言うことか
でも、過去の歴史から学ぶ事は多いね。