窓の外を眺めながら…

【国宝】金銅癸未銘三尊仏立像

当時、平壌で三本の指に入る富豪の金嘉山の長男で、金瓉永という人物がいた。東京美術学校に留学し、西洋画を学んだが、1917年に帰国してからは筆を降り、後身の育成に力を注いでいた。 金瓉永は絵画から文学へと関心を向け、亡き父から譲り受けた財産で、書画骨董を収集し始める。

この仏像は一つの大きな光背を背にして、中央に本尊があり、左右の両脇には菩薩を配置した三尊仏である。この仏像が宝物なのは、大きな後背の後ろに「 癸未年11月1日、宝華為亡父趙貴人造」という文字が刻印されているからだ。

金銅癸未銘三尊仏立像 高さ17.7cm 国宝第72号

癸未年は西暦563年で、三国時代の仏像であり、出土地は百済の故地とされているが、造りは高句麗の洋式である。

蓮華が彫られた蓮華台には仏が立っている。悟りを得ようと欲している衆生(人々)に臨んでいるのか、穏やかな表情で下を眺めている。雲に乗って天上の世界に行こうとしているのか、光背には天に向かう雲がたなびいている。光背の先端は蓮の華のように尖っており、左右の両脇侍像もまた衆生を見ている。

亡くなった父の趙貴人が、蓮華の世へと極楽往生することを望む子どもたちの願いを込めた三尊仏であろう。

3 COMMENTS

仏像にも意味があるんですね~

せっかく留学して絵を学んだのに、帰国してなんで描くのをあきらめたのかな?
その辺が、ちょっと気になるな~💦
あまりの実力の差に、愕然と来ちゃったのかな?
しかし、ついには骨とう品屋のおやじになって、ぎょうさん収集して残してくれたのは、ありがたい事ですね💕 どこかで実物を見てみたいな~

骨董物語の補足

補足説明ですが、この金瓉永という人物。自分の骨董を高く売るため、ほとんどの収集品は東京で開催された競売で処分し、遊びや酒などの飲み食いにほとんどを費やしたんだ。日本で処分した金額は当時のお金で17万円。韓屋170軒分に相当する額だそうです。
でもこの仏像だけは手放さずに持ち帰った。これだけは日本人の手に入ってほしくなかったのかは今となっては分からないがね。これを全鎣弼が当時のお金で7万円で購入するという流れだ。
結局、金瓉永は最後には阿片中毒者になったっていう話だ。
まあ、ありふれた話なんだが気を付けようね、甘い話、酒、女、麻薬…(笑)

ちっちゃ

全く分からない世界です。
20センチもない小さな仏像が何故国宝なのか。
大きさじゃない❗って怒られそうだけど。🤭

現在コメントは受け付けておりません。