窓の外を眺めながら…

55年前の大事件…北朝鮮に拿捕された「プエブロ号」ー⑤

大同江から普通江へ

プエブロ号の移動には、もう一つの謎がある。どのようにして、大同江から普通江へ移したのかである。

普通江は大同江へと流れ込む川なので、流れは繋がっている。現在、プエブロ号があるのは、普通江が大同江と合流する「普通江橋」から約6キロメートル上流。だがプエブロ号を川に浮かべたままで普通江へ移動させることは困難なのである。先の『労働新聞』の記事には次のような記載がある。

「戦勝記念館建設を現地指導した敬愛する金正恩同志はこうおっしゃった。『鹵獲(ろかく)武器などを展示しているそばの普通江にプエブロ号を展示しなければなりません』。世の中を今一度ひっくり返すような驚異的な着想に皆が驚きを禁じ得なかった。重さが1000余トン級の船を水深が浅い普通江に移す方法に苦心する職員たちに敬愛する総書記同志は、プエブロ号を移すのは別に難しい問題でないと言われ、その解決方法を即席で教えてくださった」

祝賀行事の金正恩総書記(2017年4月13日撮影)

最高指導者の指示によって、船体の普通江への移動は決まった。金正恩総書記が教えたという運搬方法については記事にならい。それを推測してみよう。

水路で移動させるにはいくつもの難関がある。まず、記事にあるように普通江の水深は浅い。普通江橋から約1キロメートルの区間と、朝鮮料理の有名店・清流館付近では、堆砂によって川底が露出している。

そもそもこの普通江流域は、整備事業が行なわれた1946年以前は、毎年のように洪水に見舞われていた。今でも流域には、池がいくつもある。普通江は“川”というより、低湿地に造られた“排水路”といった方が正確だろう。

今でも洪水が起きることがある。2007年8月に1週間ほど集中豪雨に見舞われた時には、普通江の水を大同江へ排水することが出来なかった。内水氾濫が起きたのだ。そのため水位が大きく上昇し、普通江から100メートルも離れていない「普通江ホテル」は1階が浸水した。

普通江ホテル(2019年5月19日撮影)

その時、このホテルには何人もの日本人がいた。私が繰り返し取材した、このホテルで長年にわたって働いた統一教会の日本人信者A氏。周囲が水没したために“島”のようになったホテルから、1週間ほど出ることが出来なかったと語った。

話を戻すと、普通江の流れは普通江橋から直線距離で約5キロメートル上流の地点で二つに分かれる。プエブロ号が繋がれているのは東側の方だが、船体より下流には幅約50メートルもの水門があるのだ。この上には道路があり、街路樹が立ち並ぶ。

ここが水上移動での最大の難関である。船がこの下を潜り抜けたり、水門を撤去することなどほぼ不可能なのだ。全長53.9メートルのプエブロ号の船体は、大同江から陸路で普通江へ運ばれたのは間違いない。

今も続く「プエブロ号事件」

55年前の「プエブロ号」事件は、実はまだ終結していない。今も続いているのだ。

「プエブロ号」の名前は、米国コロラド州にある「プエブロ市」から名付けられている。コロラド州議会は2020年、北朝鮮にプエブロ号の返還を求める決議案を全会一致で採択。同じ決議は2016年にも行なわれた。

そして2021年2月、ワシントンの連邦裁判所は、プエブロ号事件に関係する判決を下した。プエブロ号の多くの乗組員が、激しい拷問を受けたことで「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」などの身体的被害を受けたとして、北朝鮮に対して元乗組員と遺族に23億ドル(約2400億円)の支払いを命じた。2008年12月にも同裁判所は、約6600万ドルの支払いを言い渡している。

このように、北朝鮮だけでなく米国にとっても「プエブロ号事件」はいまだに尾を引いているのだ。

朝鮮戦争で捕虜になった米兵の人形(2017年4月12日撮影)

米国は朝鮮戦争で勝利することが出来ず、プエブロ号事件では全面敗北をした。このことは共和党政権だけなく民主党政権であっても、米国の北朝鮮政策を大きく規定することとなった。北朝鮮への「戦略的忍耐」を続けたオバマ元大統領や現在のバイデン大統領のように、民主党政権であっても北朝鮮への関与を避けようとする。

北朝鮮が昨年11月に発射実験をした大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星17」は、余裕をもって米国全土を射程に収め、複数の核弾頭搭載が可能と推察される。もはや開発段階は終ったようだ。

中距離弾道ミサイル「火星12」(2017年4月15日撮影)

米国が置かれている状況は大きく変わったのであり、米国は制裁緩和をしながら北朝鮮との現実的な交渉をするしかないだろう。ところが就任から2年を迎えたバイデン大統領は、ウクライナ戦争や自身の機密文書保管問題への対応に追われ、残り2年の間に大胆な北朝鮮政策を打ち出すことは困難な状況だ。

2007年4月、米国ニューメキシコ州のリチャードソン知事が米軍機で平壌を訪問している。一行には、米国政府「国家安全保障会議(NSC)」アジア部長のビクター・チャ氏も含まれていた。目的は、朝鮮戦争で行方不明になった米兵の遺骨返還についての協議だった。その結果、6人の遺骨返還が決まる。

知事の平壌滞在中に、北朝鮮はプエブロ号の見学を設定。そのことに、知事は不快感を表した。だがその際に北朝鮮は、米朝関係正常化への意欲を強調し、プエブロ号船体を返還することも可能との考えを表明したのである。

競技で米兵の看板を叩く女性(2004年5月1日撮影)

米国と厳しく対峙している今は、“反米政策の象徴”となっている「プエブロ号」。もし米朝関係が大きく改善したならば、この船は不必要になる。その時には、“友好関係の証”として返還されるのは確かだろう。

ただ、それがいつになるのかは、まったく見通しが立たない。

終り

講談社WEBメディア『現代ビジネス』(2023年1月27日)から

1 COMMENT

でも、仲良くして欲しいなぁ~

思うんだけど、関係改善して「船」を返すんじゃなくて、今すぐに返したら、関係が改善するんじゃないのかな? 順番が逆なような気がするなぁ~💦
ミサイル飛ばすなら、船を先に返しちゃった方が、話がスムーズにいくと思うけどな~
まぁ~ 外野は何とでも言うよね~

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