春のうららかさを感じよう

【投稿】箱根駅伝に思いを馳せる

あす1月2日から3日にかけて行なわれる「第100回東京箱根間往復大学駅伝」。100年もの間の長い歴史の中で、箱根路を駆けたオリンピックメダリストはたった一人しかいない。1936年のベルリン五輪マラソンに日本代表として出場し、3位に入った故 南昇龍さん(明治大)だ。

「祖父が明治にいた頃はお金がなく、水ばかり飲んで練習していた」そうです」そう言って笑うのは横浜市に住む孫の李善英さんだ(53)。小さい時に祖父が「日本での大会で走った」と話していたが、それが箱根駅伝とは知らなかったという。

ベルリン五輪のマラソン3位の南昇龍選手(左)と優勝した孫基禎選手

南昇龍さんが箱根路に挑んだのは3度だ。1935年は山上りの5区で区間2位。その後は2度3区を走り、36年は区間5位、五輪翌年の37年は区間賞に輝いた。3度ともチーム順位を上げる力走だった。

南昇龍さんは1912年に当時日本の植民地だった朝鮮で生まれ、当時、陸上の強豪だったソウルの養正高等普通学校で鍛えられた。同校ではベルリン五輪マラソン金メダルの故 孫基禎さんの先輩にあたる。

表彰台に立つ3位の南昇龍選手(右)と優勝した孫基禎選手

孫基禎さんが五輪の表彰台上で、日の丸が掲揚されるのを「亡国の民」の思いでいたと後に述懐したのは知られている。南さんも家で飾った表彰式の写真に「日本人が見ても韓国人が見てもうれしくない」と悲しみを吐露したことがあったそうだ。

駅伝は「走る」という単純な競技ではあるが、あくまでも個人の体力と、団体のチームワークを競う競技だ。こういう競技は私たちに向いてるのかもしれないなと思いながら、 いつの日か朝大の学生が、正月の箱根路を滑走する姿を見てみたいと思っている。 

4 COMMENTS

箱根駅伝は青学ファン

ここにも民族の黒歴史があるんですね😢😢
長距離走って本当に大変な練習を繰り返すんでしょ?
その結果、駅伝やオリンピックで成果が残せた。
なのに胸を張って自慢できないって悲しいし情けないし、悔しいですよね。
その気持ちを一生涯持ち続けなければならなかった…
ご本人の気持ちはどんなものだったのか?
我らが忘れてはいけない歴史の1ページです。

勉強不足

孫基禎さんは知っていたけど、南昇龍さんは知らなかったなあ~。
お恥ずかしい限りです💦

マラソンは苦手💦

へぇ〜知らなかった😅そんなに優秀な先輩が居たんですね🥰ほんとにいつかは朝大も出場出来ると良いですね😘沿道に旗持って応援に行っちゃう🏃‍♂️必ず

城西ファン🏃‍♂️

大好きな箱根駅伝にそんな先人がいらっしゃったとは。知りませんでした。朝大が箱根ねぇ。生きてる間に叶うのなら、予選会から応援します❗
それまでは、城西をよろしくね🏃‍♂️😊

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