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戦後77年「朝鮮人強制労働の歴史の上に今がある」在日3世、朱鞠内の展示館再建へ奔走

戦前、戦中に工事現場に動員され犠牲になった朝鮮半島出身者らの歴史を伝えた「笹(ささ)の墓標展示館」(上川管内幌加内町朱鞠内)を再建するため、隣の深川市に京都市から移住し活動している人がいる。在日朝鮮人3世の金英鉉(キンヨンヒョン)さん(37)。「同じ朝鮮人の悲惨な歴史を伝える活動を受け継いでいきたい」と、犠牲者の遺品を展示する巡回展で全国を回っている。

展示館の前身は1934年(昭和9年)建立の旧光顕寺。95年から展示館として使われ、幌加内町内の雨竜ダムや旧深名線の建設工事で亡くなった労働者の遺骨や位牌(いはい)を展示してきた。2019年に雪の重みで損傷し、20年1月に倒壊した。

1999年の道の調査報告書では、朱鞠内などの工事現場に多くの朝鮮人が動員され、劣悪な環境下で病死や事故死したとしている。

金さんが展示館を知ったのは2013年、上川管内で朝鮮人の遺骨発掘調査に参加した時だった。展示館を訪ね、遺族と連絡がとれず返還できない朝鮮人の遺骨を見た時、「これがもし自分の祖父だったら」と思い、涙があふれて息ができなかった。

展示館で保管していた朝鮮人労働者の骨箱を手に、再建への思いを語る金英鉉さん

同時に「在日朝鮮人として差別されてきたことを思い起こした」。ちょうどその頃、母校の京都朝鮮第一初級学校が、「在日特権を許さない市民の会」による人種差別的な街宣活動で授業を妨害されるなど、在日へのヘイトスピーチが激しくなっていた。

金さんは以前から「日本政府は強制労働の歴史を伝えることに消極的だ」と感じており、労働で犠牲になった朝鮮人の遺骨を目の当たりにし「同じルーツを持つ人間として、歴史を伝えていかねば」との思いを強くした。その後、展示館が損傷したと聞き、再建を手伝うことを決意。展示館は在日朝鮮・韓国人や日本人の若者が集い、歴史や平和を語り合う交流拠点にもなっており、そうした場を残したい思いもあった。

京都での仕事を辞め、19年9月、深川市へ移住。市内の社会福祉法人で働きながら、昨年10月から、遺品の巡回展に同行している。

巡回展は、展示館を管理するNPO法人「東アジア市民ネットワーク」(深川、殿平善彦代表)などでつくる実行委が、犠牲者の遺品を見てもらい、建設資金の寄付を呼び掛けようと企画。すでに札幌や帯広など道内外8カ所で開催、今後は東京や大阪を回る。6千万円の寄付目標額に対し、7月末で4500万円が集まった。展示館は23年秋に再建する予定だ。

金さんは巡回展で自分のルーツを明かし講演することもある。その際、こう語り掛けている。「日本による植民地支配の結果、強制労働が行われ、多くの命が失われた。その歴史の上に、今の日本社会があることを忘れないでほしい」(斎藤雅史)

※北海道新聞に8月17日に掲載された記事をそのまま転写しました。

2 COMMENTS

あっぱれ

京都から北海道に移住して活動を続けている…。
なかなか、できる事ではないねえ、若いのに…。
今の子たちはバイタリティーがあっていいね。

偉いねぇ~

この金くんの、心の中の琴線に触れちゃったんだね~😍
それにしても、その行動力はすごい~👍
何かの機会があれば、微力ながら応援したいなぁ~👏
ただの遺骨だし、カルシウムだけど、その魂が宿っているもんね~ 鎮魂👏

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