作家の三島由紀夫と東大全共闘が、1969年5月13日に東大駒場キャンパス900番教室で討論会を行った。これは、その時の映像を元にしたドキュメンタリー映画だ。後に自決をする三島だが、この討論会にも命を賭す覚悟で出向いたに違いない。
大変面白かった。映画化される前にテレビ放映されたのを観たが、今回の映画版では、日本の知識人や作家の内田樹、小熊英二、橋爪大三郎、平野啓一郎らが要所で登場し、分かり易い解説が入りテレビ版より見応えがあった。
三島はサルトルを引用しながら、初期の作品では大江健三郎と似たエロティシズムを通して社会に働きかけたが嫌になって、暴力他の方法で他者に働きかけたくなった、その他者のイリュージョンである仮想の敵として、共産主義と決めたと述べる。他者への働きかけの目指すところは、天皇中心を手段とした日本だろう。
その考えの下、先ずは日本を天皇を手段として反米愛国闘争で変えようとし、そこに全共闘との共通点を見出し共闘の可能性を考える。「君達が天皇を言ってくれさえすれば共闘した。」旨の三島の発言は衝撃的だ。
全共闘側の芥正彦も面白い。芥の自然に対する発言の主客は誰だとの三島の問いに、芥は主客は誰かとの問い前に「自然」の概念が不定で分からないと相対化する。芥自身はそのような構造主義的な観念の中で、全共闘の中に居たが全共闘とは異なる次元で己の信ずる理念空間である芸術至上主義を生き続け、そして現在に至っているのだろう。
映画の終わりに三島が自決したことを芥が、「良かった、一世一代の大芝居」と話す。一見非情のようだが、実は三島の運動がいずれ収束することを予測しての発言だったと思われる。三島が自身の理念に生きてそれを表現できたことを「良かった」と語っている。
ともあれ、全共闘に対する三島の答弁が面白く、芥の論の展開にも安易に首肯せずにすかさず持論で切り返すなど、三島の頭の良さが感じられる。また、その語り口の上手さに好感さえ覚える。
私が小学生の時の出来事だが、たまにはこのような映画で日本の過去を振り返ってみるのも面白い。
凄い人ですよね~😎
いやいや、それほどでも〜。
私のことではない?こりゃまた失礼致しました😂
無理~ ムリ~ むむむ~り💦
もう一度言います~
MURI~💦
面白い映画なので、もう少し分かり易く紹介出来ればと思いました。そこは単に私の能力の低さです。
この映画を観て、私が小3だった1968年1月18日、19日の左派学生と機動隊が衝突した東大安田講堂事件を思い出しました。
夜、仕事から帰った父がニュースで、学生が火炎放射器や火炎瓶で機動隊を攻撃しているのを見て、「火炎放射器とは流石に東大生だ。」と感心していたのを覚えています。感心するところがズレていますが。
いつの日か、イモ(母の妹)が日本の大学に通っていたウェサンチョン(イモの兄)のことで、総連の支部委員長だった外祖父(イモの父)に「アボジ、兄さんが学生運動参加しても、共産主義運動だから怒らないでしょ?」と聞いたところ「許すわけ無いだろ!」と一蹴されたのを覚えています。
当時の学生は、平等ではない社会を変えようと、実際に身体を賭して運動に参加するなど純粋だったのですね。
学生の視線は未来に、三島の視線は過去に、よって両者の視線が交わることは無かったでしょう。全共闘は「天皇」は言いません。