春のうららかさを感じよう

阪神淡路大震災から26年で想う

阪神淡路大震災から26年の月日が経ちました。朝テレビをつけたら遺族などが地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼んでいました。

26年前の1月17日に発生した阪神淡路大震災では、建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の災害関連死も含めて合計で6434人が亡くなりました。死亡者のうち、在日韓国・朝鮮人は131人、全死亡者の2%にあたります。

今年は、新型コロナが収束しない中での開催なので、例年より半日早く16日の夕方から灯籠に明かりがともされ、会場の入口には消毒液が置かれ、人の動線を分けるなどの感染対策がとられているそうです。

今日は震災の悔しさや悲しみを忘れず、また亡くなられた同胞や兄弟たちを偲びたいと思います。

1 COMMENT

今は京都市民

あの日、2階で寝てると経験したことの無い揺れが襲って来ました。
ゴーっと…正にゴーっと言う音が鳴り、そこら中から悲鳴と叫び声が聞こえました。
何かが倒れる音、食器の割れる音、建物が軋む音…
約1〜2分位(感覚的には5分位に感じましたが)は揺れ続けました。
2階で子供も寝てたので床が抜けないか心配しながら、子供の隣で揺れが治るのを待った記憶があります。
地震が収まり下に降りてみると、床が抜けて茶箪笥が傾いていました。
食器が何点か割れてましたが、被害はその位でした。
しかし、テレビを見てビックリしました。
神戸の街が壊滅してました。
沢山の人が亡くなり、我が同胞の中にも被害に遭った方が多いです。
聞いた話では、成人式に参加する為地元に戻ってた神戸出身の朝大生が、帰りのバスで震災に遭い、亡くなったとも聞きました。
亡くなった全ての方、被害に遭われた全ての方に哀悼の意を表します。

そんな時、関西在住の同胞達はすぐに支援物資を送りました。
交通網が麻痺して移動手段が壊滅…
関西の同胞達は徒歩で支援物資を運びました。
大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山…
何処の救護所より早く炊き出しが始まり、寒い中暖かいスープとご飯を同胞に配ったのは他でもないウリハッキョの運動場でした。
国も県も市も何も出来てない中で寒い中、日本の人々に暖かい食事を提供したのは他でもないウリトンポでした。
これは大きな美談として神戸の人々の中で今でも語られてます。

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