古代東アジアの歴史を語る上で、金春秋(武烈王)を抜きに話を進めることは出来ません。日本(倭)中国(唐)を活発に往来し、優れた外交手腕を発揮しました。
従来、日本書紀に記載されている金春秋の来日(倭)の記載は史実ではないのでは?との見解が多数を占めていました。その理由は、同時期に中国(唐)に滞在していた記録が残っているからです。しかし今日では、当時の人々の往来の活発さから、日本書紀の記載は史実だとの見解が多数を占めるようになりました。また「唐書」と「日本書紀」の金春秋に関する記述が酷似している点も挙げられます。
では金春秋とは一体何者なのか?一言で言えば「容姿端麗・弁舌爽やか」です。イケメンで話上手だったようです(なので時代劇のドラマで金春秋を演じる役者はイケメンでないと史実に反することになります)。
唐の第二代黄帝・李世民(実質上の唐の建国者)は、金春秋を一目見て気に入り、後の「羅唐連合」、新羅による三国統一の時代を迎えます。因みに三国史記(新羅本紀)には、670年に倭国が国号を日本に変えたとの記述があります。
立派な方が、わが朝鮮民族にも、大勢いらしたんですね~😘 ご立派~
この肖像画をじっくり見ていると~👀
あれぇ~ 誰かに似ているなぁ~ と、よ~く見ると、
うちのハラボジにちょい似~😍
ってことは、私は~その孫ですか? ~~なんて、想像をたくましくした今朝でした💓
金春秋が唐と倭を相次いで訪れたのは、その当時、新羅がおかれた不安定な政治情勢が背景にあったんだと推測されますね。強大な力の高句麗や、百済との戦いでその当時はかなり新羅が政治的にも経済的にも疲弊してたんだろうと推測します。
でも同時期に中国と日本を渡り歩いて外交をする。飛行機がない時代でも金春秋はフットワークが軽かったんですね~。おまけにイケメンときた。もてたんでしょうね🥰
戯言だと笑って下さい。
私は경주김氏
直系のご先祖は、新羅56第国王敬順王
リムジンガン北に超えた所にお墓があり祖先達とお墓参りに行きました。(兄が)
その証拠は代々長男達に伝わる族譜があります。
兄もトランク何個にわたる膨大な族譜を持ってます。
敬順王と言えば、新羅最後の王様です。高麗の王建は、娘を敬順王に嫁がせていますから、もしかしたら王建の血も流れている可能性もありますね。一度、調べてみても良いかも知れないですね。族譜は、おそらく百科事典のように何冊もあり分厚いと推測されます。
兄から聞いた話ですがたまたまの知り合いが
경주김氏だった事から고향を聞いたら一緒だったので、族譜調べたら400年前兄弟でした。
別の話ですが、합장이氏は日本で言う公民館みたいな建物が합정にあります。