1本の樹にもー新米教師奮闘記㉜

「悪いけど開店準備にかからなあかんさかい…」そう言ってミョンジャの父親が席を立とうとした。だが、ヒョングはしつこく食らいつく。「アボジ、もう一度考えていただけませんか?」「…」「ソンセンニ、卒業までまだ時間があるし、ちょっと時間をくださいな」いたたまれなくなったミョンジャの母親がそう言ってくれたので、ヒョングは素直に帰路に着いた。

再び特急「くろしお」に乗り、今度は和歌山を目指す。眼下に広がっていたエメラルドグリーンの海は夜の闇に葬られたように姿を消してしまった。それでもヒョングは窓の外を眺めている。いや、窓に映る自分の姿を見ているのかもしれない。そこに映っているのは頼りなさそうでいいかげんな教員の姿、生徒たちから信頼されない情けない教員の姿であった。

だが、その顔には生徒たちへの愛情がにじみ、目には今までにない強い意志のようなものが感じられる。そんなヒョングをチョンファが横目でチラッとのぞく。列車を乗った瞬間から2人に会話はなかった。どれぐらい時間が経ったのだろう。沈黙を破ったのはヒョングだった。

「俺たち…頑張らないとダメだな」チャンファは思わずヒョングの顔を見上げた。チョンファの視線を気にも留めずヒョングは独り言のように続けた。「分からないなら分かるまで繰り返せばいいし、できないならできるまで頑張ればいいんだよな…」それは、ヒョングの未熟な自分自身への励ましだったのかもしれない。

「そうですね。来週からは統一試験もあるんやし、私ものんびりしてられませんわ… 今は学生たちに余計な心配させんと勉強に集中させないとあかんですから」チョンファはあえて家庭訪問には触れず、明るくさらりと話題を変えた。おかげでヒョングも気持ちを切り替えることができた。

ヒョングはチョンファのそんな優しさがありがたかった。「そうだな」ヒョングとチョンファは顔を見合わせてほほえみ合った。