展示場に大きく広げられた「中宗実録」の最初のページには、赤い印章が二つ押してある。一つは東京帝国大学図書印、もう一つは京城帝国大学図書章だ。日帝強占期に日本へ無断搬出され、後に戻ってきた王室図書の痛ましい歴史が、表紙の見返しと1ページ目にくっきりと残っていた。
江原道平昌の五台山史庫に保管されていた朝鮮王朝実録と朝鮮王朝儀軌が、長きにわたる他郷での暮らしを終えて元の場所へ戻ってきた。1913年に実録が日本へ持ち出されてから110年ぶりの帰郷だ。文化財庁国立古宮博物館は、五台山史庫本の実録75冊と儀軌82冊を保管・展示する国立朝鮮王朝実録博物館を12日に正式開館するとして、9日に現場でメディア公開イベントを行った。
壬辰倭乱を経験した朝鮮王朝は、鼎足山・太白山・赤裳山・五台山という山深い四つの場所に史庫を作り、主な書籍を分散保管した。このうち五台山史庫には20世紀初頭まで、実録と儀軌を含む計4416冊が所蔵されていた(1909年『五台山史庫蔵書目録』)。
だが日帝強占期の1913年、朝鮮王朝実録788冊全てが東京帝国大学へ搬出され、1923年の関東大震災でかなりの部分が焼けてしまった。かろうじて火災を逃れた一部の実録は、その後、3回に分けて韓国国内に戻ってきた。1932年に京城帝国大学へ27冊が移転され、2006年には東京大学に残る47冊がソウル大学に返還された。
2017年には、日本のオークションに登場した「孝宗実録」1冊を国立古宮博物館が追加で買い入れた。
朝鮮王朝儀軌もまた、同様の痛みに見舞われた。五台山史庫本の儀軌は1922年に日本の宮内省へ搬出されたが、2011年にようやく43種類82冊が故国へ戻ってきた。
国立古宮博物館のパク・スヒ学芸研究官は「宮内庁から戻ってきた五台山史庫本儀軌は全て、19世紀後半以降に作られた高宗・純宗代の儀軌で、これは日帝が朝鮮王室を日本の皇室に編入して『王公族実録』を編さんしようとしたから」だとし「儀軌搬出の目的は王公族実録の編さんだったので、王室の人間の一生と密接に関わる記録、すなわち葬礼・冊封・婚姻などライフサイクルに関する儀礼に集中していた」と説明した。
記事は朝鮮日報から
改めて日帝のむごさがあわらになりますね💦 朝鮮の文化財をどんだけ盗みまくったのかな〜😰 頭にくるよ〜ほんとに😡
朝鮮王朝実録、世界記憶遺産です。抄訳は日本語版も販売されており、図書館で興味のある箇所(トンイなど)を読めますが、抄訳でも、上下二段で500ページ以上の大部です。