朝聯は3.1独立運動記念日に合わせ全国的な闘争を展開します。この呼びかけに東京、茨城、兵庫、大阪などで、地方当局に対しての要請や抗議集会が一斉に展開されました。山口では3万人の同胞たちが県庁を取り巻き徹夜の闘争を実施、結果4月1日に山口県は、朝鮮学校に対する実情調査を条件に、決定までは従来通り学校運営を認めるとの成果を勝ち取るに至ります。
一方の兵庫では、4月24日兵庫県知事との交渉を開始したにもかかわらず、MPを動員して拳銃で同胞たちを威嚇するに至ります。その時、朝鮮人代表たちは「撃つなら撃ってみろ!」と屈することなくMPを圧倒、結果兵庫県知事は「朝鮮学校の閉鎖命令を撤回する。朝鮮学校の設立の認可申請があればそれを認可する」との約束を勝ち取りました。
しかし4月24日GHQは、神戸など非常事態宣言を発令し、1週間の間に数千名の同胞を逮捕し、朝聯事務所と学校を強制的に廃止します。
4月26日、大阪大手前広場で行われた4万人の同胞たちの集いでは、近畿地方の武装警官が総動員されました。歩道の茂みからパーン、パーンと鼓膜をつき破る発砲音が鳴り出します。
相ついで幾人かが倒れるや、群衆の中に乱入した警官隊は包囲して暴力をふるいました。棍棒でたたかれ頭部に裂傷をうけた14歳の少女を含む多数の同胞たちが重軽傷を負い、当時16歳の金太一少年は後頭部貫通銃創で死亡する大惨事となりました。
この年GHQは「団体等規制令」を発表し、朝聯に対する解散命令(9/8)「朝鮮人学校閉鎖令」(10/19)を発令、ウリハッキョは閉鎖されます。