清風溪と呼ばれた谷は現在のソウル鍾路区清一帯の谷にあった。もともとは青いカエデの木が多く「青風渓」と呼ばれたとも言われいる。丙子胡乱の時に江華島を守ったとされる金尙容(1561ー1637)の別荘が建てられ「澄んだ風が吹く渓谷」という意味の清風溪に変わったという。
この絵画も当時、金鉱脈にお金をつぎ込んだ両班が持ち込んだ絵画で、市価よりも比較的に安く手に入れることができたそうだが、それにしてもいくらで買ったのか、ちょと気になるところだ。
若き日の全鎣弼が相続した財産はどれぐらいな規模だったのか?25歳で親の全財産を相続することになった全鎣弼は、数日をかけて財産を見て回ったそうだが、その広さは、京城市近隣の往十里、踏十里、清涼里、松坡、倉洞などを手始めに京畿道高陽郡、楊州郡、公州郡、黄海道延安、延白、忠清道公州などなど、水田だけでもざっと八百万坪以上、いまの東京ドームで比較すると530個以上の土地を所有していた。
当時、米1石は16円ほどだったので、1年の年収は32万円だ。税金や人件費、維持費を差し引いても純利益は15万円ほどになる。これを当時の韓屋に換算すると150軒分にもなり、これを現在の価格(1件3千万円)のマンションで直して計算すると45億円になる。水田の値段は当時300坪で50円だったので、800万坪は200万円以上になる。これは現在のお金に換算すると600億円以上、あるいは800億円か900億円規模は優になる額だ。
素晴らしい~絵ですね~😊
朝鮮独特なような感じ~😊