金正喜(秋史、阮堂は号1786-1856)作の「歳寒図」は、 彼の数ある作品の中でも白眉と言われている。この絵は金正喜の波乱万丈な人生と同じぐらいの数奇な運命をたどった。
金正喜は、王家の末端に連なる裕福な家系に生まれ、若い頃から清の考証学や金石学に関心を持ち、詩や書画にも優れた才能を見せていたが、政争に巻き込まれ1850年、55歳の時に済州島に流罪となり、8年4ヶ月も不遇をかこうことになる。
不憫に思った弟子の金尚迪は、師を慰めるために漢籍や清の考古学の文献を流罪先に送ると、金正喜がお返しとして送ったのがこの「歳寒図」である。
「歳寒図」は論語にある「歳寒然後 知松柏之後凋」( 寒い厳しい季節の後に松柏はようやく枯れないことを知る)から採ったものだ。
この「歳寒図」はもともと横70cm、縦30cm 足らずの小品に過ぎなかったが、贈られた弟子や所有を継承した人たちは後に、名のある清の文人や知識人約20名から、感想や賛辞などを書き添えてもらい、その後全長1470cmの巻物になった。
「歳寒図」は 金尚迪の死後、遺族に引き継がれるが、後に金正喜に関心のあった京城帝大の藤塚鄰(1879-1948)の手に渡る。その後、書家の孫在馨が東京に渡り100日間説得。欲しがる熱意に根負けした藤塚は、対価を求めないでこの図を孫在馨に譲ったのだ。
その後、孫在馨から朝鮮人参貿易で財をなした孫世基の手に渡り、1970年に韓国の国宝180号に指定される。 その後、息子の昌根は2018年11月に国立中央博物館に寄贈する。中央博物館はこれを記念して、2020年 1月から3ヶ月間、特別展を開いた。
数奇の運命をたどったこの絵は現在、韓国国立中央図書館にある。
その価値とやらが、全然わからないので、へぇ~そうなんだくらいの感想しかない💦👀
でも、昔の朝鮮の絵って、とても味があるなぁ💕