「ロッテ」といえば、在日の同胞は「ああ、解放後、アメリカ進駐軍の兵士が日本中にばらまいて、みんなを夢中にさせたチューインガムを、いち早く日本で生産して大企業となった在日同胞の会社だろ、そして日韓国交正常化の後は、ソウルに有名なロッテ・ホテルを作り、日本語の通じる高級ホテルとして、日本からの観光客に親しまれているホテルを作った人という位は知っているよ。どうも早くから日本に帰化したらしいね」「名前は知っているかい?」「いや、聞いたことがないね」。
以上のような問答が、在日の同胞の間で何度もくり返されたことであろう。それにしても、ロッテの創業者の名前や、その生涯については、これまで我々に伝えられる機会はあまり無かったのではないか。
私たちは長く日本に住みながら、ロッテについて知ることがほとんどなく、「韓国の企業家の列伝を紹介するならば、次にロッテの創業者について伝えてくれ」との希望もあり、少し調べたことを次に紹介する次第である。
辛格浩の青少年時代
その人は辛格浩。彼は1922年に慶尚南道蔚山郡サンナム面に生まれた。霊山辛氏家の子供たち十人兄弟の長男である。それは日本の侵略により朝鮮が完全に植民地に転落して十二年目の年である。
朝鮮は資本主義も帝国主義の段階に突入した日本による植民地化のため、封建制の要素を多分に残しながら急速に商品市場経済の支配する資本主義体制へと変質して行く過程に編入されることになったのだ。
朝鮮が日本の植民地となる過程で、まず日本から大小資本が殺到し、さまざまな方法で土地を入手していった。その代表が東洋拓殖株式会社である。これは名目上は日韓合作会社ということになっていたが、総裁は日本人で、役員も大部分が日本人で占められ、資本金は一千万円、その3割が韓国国有地の現物出資とされた。それゆえ韓国帝室財産に組み入れられていた帝室の土地や全国の駅土などが現物出資されたのであるが、それらの土地を耕作していた農民はたちまち生活の手段を失うことになる。
こうして東拓は朝鮮最大の地主となり、解放の日まで朝鮮農民の上に君臨することとなるのだが、この他、大地主としては東山農場、大倉農場、熊本農場などが続き、一方、零細な日本資本も「日の丸」の威光を背にし、高金利で零細な農民に金を貸し付け、抵当流れの土地を入手するばかりでなく、さまざまな詐欺や略奪など、あらゆる手段を使って朝鮮農民から土地を取り上げ、日本人はわずかな資金しか持たない者たちも、たちまち大地主になっていったのである。
また、粗悪な商品を朝鮮に持ち込んだ商人たちも、朝鮮全国に浸透し、社会全体を商品経済の支配する市場に変質させながら、現金収入の手段を持たない人々の貧困化を促進させていった。
現在、日本に在住する同胞の多くは、このようにして商品経済の網の目に巻き込まれ、いつの間にか借金が増え、ついに生活の手段である農土を失い、流民となって生活の道を求めて日本に渡ってきた農民の子孫であるか、または日本の侵略戦争の被害者として、強制的に徴兵され侵略戦争に狩り立てられたり、あるいは徴用されたり、生活の道を求めて来日した者たちの子孫なのである。
へぇー 偉いね👌
と言いながら、全部読めない😢
だって長いんだもん😓
小説一冊くらい💦
初めと最後だけ読みました。笑
朝は時間切れ。帰ってきたら真ん中読もうかな。🤣
重光さん大好き、도꾜제일の近くに東京スタジアム🏟ロッテオリオンズの本拠地小学校の時、試合がある日はほとんど行った小学生無料だった⚾️同級生とアルトマン、ロペス、有藤選手大好き💕優勝🏆した時はグランドに降りてハシャギまくってた懐かしい🙆♂️又錦糸町のロッテ会館の우리동포の結婚式の聖地、地元墨田지부に所属してた頃ロッテ会館に💐結婚式🤵♂️👰♀️の打ち合わせ지부위윈장と行くと在日朝鮮人特権50万円値引き🫢何組もやってもらいました。重光オーナーには何回かお会いしましたいい人でした。🙇♂️
2日かけて読み終えました。
読み進めるうちに、どんどんハマっていきました。
「家族に豊かな生活をさせたい!」
そこから始まった快進撃。
在日のヒーローですね。
高校時代、新宿駅内のロッテリアに通った頃を懐かしく思い出しました。