大韓航空公社の引き受け
わが国最初の航空社は1948年10月1日、慎鏞頊(シンヨンウク)が民間資本により設立した大韓国民航空社(KNA)であったが、1958年KNA旅客機一台が北に拉致されることにより財政損失をうけ、営業不振がつづき、また第4代民議院選挙にも落選した慎ヨンウクは自殺に追い込まれた。
当時、軍事政権はKNAの営業中止による空白を埋めるため、急いで大韓航空公社(KAL)を、1962年4月30日、公称資本5億ウォン、払い込み資本2億54万ウォンの国営企業として設立された。しかし航空輸送の需要が伸びず、政府が払い込みをする資本払込みまでも遅れて、航空機投入計画に蹉踬が生まれ、保有機の老朽化による故障や延着がしばしば生じ、利用客の信頼を失っていた。
KALの赤字が増加するや1968年6月、朴正煕政権は民営化をはかり趙会長はこれに注目していたが、何度も社員の反対にあいながら、ついに三度にわたる朴正煕大統領の説得に拒絶できず、負債23億4000万ウォンの全額を負担しながら、14億5300万ウォンで引き受けることになった。その条件として5年の据え置き(無利子)、10年分割償還(延利12%、当時の物価上昇率15%)という有利な条件であった。こうして大韓航空が出発することになった。これによって韓進は10大財閥に進入することになった。
その時、大韓航空は国内路線と共に国際線もあったが、それは日本を往来するいくつかの路線のみであって、東南アジアへの路線も設定されていたが、収入の見込みがないため休航となっており、つまり国際線はないと同然であった。外資獲得は日本への路線による若干の収入のみであった。しかし趙会長は未来に対して深く悩み、かつ深く研究していた。
国際線はどうしても必要な路線であろう。趙会長はある日、突然こう切り出した。
「わが社もあれを持とうではないか」
「えっ、何のことでしょう」
「ジャンボ機だよ。わが社もいつまでも子供のあんよだけでは困るだろ」
「ジャンボ機2台を導入するためには、どの程度の金が必要だろうか」
「7000万ドル程度の資金が必要のようです」
「フム、7000万ドルか。ヴェトナムで稼いだ金の半分を注ぎ込む必要があるか。それでも推進せねばなるまい。」
彼はボーイング747機の購入を決定し、1972年、米国ボーイング社と正式に購入契約を行った。ジャンボボーイング747機が初めて飛行場に姿を現した時、人びとは始めてみるジャンボ機の偉容に驚きの目をみたった。こうして大韓航空は国内最高の航空社として、少しずつ成長をつづけるのである。
はじめと最後のページだけ読みました。🤭
あとは、夜です。
サッカーで寝不足だから朝の時間足りません‼️がんばれアルゼンチン❗
バカだね~💦 実にバカ💦👀 一年くらい大韓航空のトイレ掃除でもやらしたら良いのに~💦 無給で!! もう見せしめだぁ~ バカ女🤦♂️
先代の「私の教育が間違った!」と言ってるけど、この女の素養のもんなんじゃない?
最後に、世襲の肯定意見と否定意見とあるけど、まずは、その人の適性はどうなのかを見極めないと~👀 でも、難しいかな?
先代の輝かしい功績に、まさに泥を塗っちゃったね😞 あ~あ💦
読みました。コンパクトにまとめられてはいましたが、創始者の運と努力と時代で財閥になり得たのだと理解しました。
ナッツ姫のその後が気になり検索してみました。夫にDV を訴えられ離婚したそうです。真相は分かりませんが、子どもの頃から本気で叱ってくれる人に恵まれなかったのかな~と思いました。
「ナッツ姫」事件のすぐ後に飛行機のエンジンが燃える事故がありました。
その記事のコメントが笑えました。エンジン火災の原因は「エンジンにナッツが詰まったんじゃね!?」。