春のうららかさを感じよう

韓進グループの創建者 ―趙重勲

みなさんはこの事件は覚えているだろうか。ナッツの出し方がおかしいと激怒した大韓航空の前社長が、乗っていた自社の旅客機を搭乗口に引き返させ、機内サービスの責任者を下すという「ナッツ・リターン騒動」のことを。

大韓航空は韓国の財閥、韓進グループ傘下にあり、この事件の主人公であるチョヒョ・前副社長(40)は2代目会長であるチョヤン会長(66)の長女である。まさに「財閥3世」に当たるわけで、この事件を契機に、機内サービスやホテル事業を総括する副社長であった趙ヒョナ氏は辞任に追い込まれ、2世である父親の趙亮鎬会長も「私が教育を間違えた」と謝罪せざるをえなくなった。

事件は、もう忘れてしまった人もおられるかも知れないので、再び簡単に振り返って見よう。

米ニューヨーク発、韓国仁川行きの大韓航空086便は1914年12月5日、出発準備を終えて滑走路に向かっていた。その時のことである。ファーストクラスに乗っていた趙ヒョナ・前副社長は、客室乗務員が差し出した「ナッツ」に疑問を持った。それは袋に入ったままであったからだ。

マニュアルでは袋からナッツを出し、皿に盛って提供することになっているはずである。趙氏は機内サービス責任者の事務長を呼んで確認を求めたが、関連規定がすぐ見つからず、許しを求める客室乗務員と事務長をひざまずかせて、これに罵声を浴びせたばかりか、趙氏の指示で滑走路に向かっている旅客機を再び搭乗口に引き返させ、事務長を降ろした後、再び滑走路に向かい離陸したのである。出発の定刻を過ぎていたことは言うまでもない。

のちに韓国KBSの取材を受けた事務長は「私が受けた侮辱は、経験したことのない人にはわからないだろう」と語ったという。このナッツ・リターン騒動を契機として、財閥の世襲経営を問い直すべきだという意見が相次いで提起されるようになった。特に批判の対象となっているのは、趙ヒョナ氏のような「財閥3世」たちである。これまでにも大麻やひき逃げ、高齢者への暴言など、トラブルを引き起こすことが少なくなかった。

朝鮮日報は、3世、4世は「幼いころから苦労したことがなく、問題を起こすケースが増えている」などと指摘しているし、ハンギョレ紙は「不安な爆弾 財閥3世」という連載を始めた。同紙の調査では、国内主要15グループの財閥3世28人は、平均28.1歳で入社、31.2歳で役員に登用されているとして、「財閥3世は道徳性や経営能力面で十分な検証を得ていない場合が多い」などと伝えている。

キムサンジョ・漢城大教授は現在、韓国の財閥経営は2世から3世に移る過度期にあるとして、今回の騒動を「財閥3世らの共通した問題の一部だ」とし、さらに「3世の不合理な命令に逆らえない財閥の垂直的企業文化が根付いていることも問題だ」と重要な問題提起を行っている。

今回の騒動を通じて、韓国経済の中に大きな比重を占める韓国財閥に「共通の問題点」がはしなくも浮上して来た感があるが、これらの問題点を念頭におきながら、「韓進グループ」の創建者・趙重勲氏の成長過程をさぐって行くことにしよう。

趙重勲氏の略歴

趙重勲会長の経歴が韓進グループの歴史であるため、趙会長の経歴をたどってみなければならない。

趙重勲会長は1920年生まれ、徽文高普1学年を中退して慶南の鎮海にある海員養成所機関科を終了、1937年に貨物船の船員となった。5年後の1942年に船員生活を切り上げ、その間に貯蓄しておいた資金で、仁川埠頭付近にイヨン工業社を設立した。エンジン修理および再生を専門とする業体であったが、当時の自動車は石油不足のため木炭を燃料としていたので、しばしば修理・整備を必要とした。 ところで趙会長は機関科修了の技術者であったので、開業するや押し寄せる仕事のために多忙をきわめることになった。

しかし、日帝は戦争の急迫のため、1943年8月「企業整理令」を発令した。彼の工場は丸紅社に吸収されることになってしまった。

趙会長は1945年8月、朝鮮が解放されるや、「この機会を利用しよう・・・・」と考えをめぐらし、11月仁川市ヘアン洞に事務室とトラック1台を準備して合資会社・韓進商社を設立したのであった。彼は常に「信用」を重視して、お客を大切にする一方、木炭車を避け、普通のエンジンを備えるトラックを補充していった。企業家の眼目と言わねばならない。

そして操業開始いらいの2年後には、保有するトラックは14台となり、1950年には従業員は40名、トラックは30台、さらに貨物船を10隻持つ中堅貨物運送社となっていた。また多様な産業に必要とされたカーバイトを江原道の三陟の工場から直接買い入れ、それを消費する工場に販売する「流通業」も始めたのである。ところが1950年6月に始まる朝鮮戦争によって会社の車輌は全て国に徴発されてしまった。1953年7月、休戦協定を見て、再び再建のための準備に熱中してこれまでの信用と事業の感覚によって、たちまち1955年には戦争直前の水準にまで拡大させることができた。

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4 COMMENTS

眠い💤

はじめと最後のページだけ読みました。🤭
あとは、夜です。

サッカーで寝不足だから朝の時間足りません‼️がんばれアルゼンチン❗

財閥って、そもそも~

バカだね~💦 実にバカ💦👀 一年くらい大韓航空のトイレ掃除でもやらしたら良いのに~💦 無給で!! もう見せしめだぁ~ バカ女🤦‍♂️
先代の「私の教育が間違った!」と言ってるけど、この女の素養のもんなんじゃない?
最後に、世襲の肯定意見と否定意見とあるけど、まずは、その人の適性はどうなのかを見極めないと~👀 でも、難しいかな?
先代の輝かしい功績に、まさに泥を塗っちゃったね😞 あ~あ💦

✈️

読みました。コンパクトにまとめられてはいましたが、創始者の運と努力と時代で財閥になり得たのだと理解しました。

ナッツ姫のその後が気になり検索してみました。夫にDV を訴えられ離婚したそうです。真相は分かりませんが、子どもの頃から本気で叱ってくれる人に恵まれなかったのかな~と思いました。

ザ・ピーナッツ

「ナッツ姫」事件のすぐ後に飛行機のエンジンが燃える事故がありました。
その記事のコメントが笑えました。エンジン火災の原因は「エンジンにナッツが詰まったんじゃね!?」。

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