初夏のうららかさを感じよう

文化遺産の保存に一生を捧げるー全鎣弼

澗松の古書籍蒐集

澗松が早稲田大学の学生の頃から書物を好み、関心を引く書物を集め出したことは先にふれた。文化財蒐集と関連して、文書の蒐集保存の必要を痛感して本格化するのは、彼の25歳となる1930年からと思われる。

その頃の事情を、彼が1960年頃に発表した「蒐書漫録」に探ってみよう。

「さて、以上は私自身の学生時代から1冊2冊と本を集めてきた話であるが、その後、志のある先輩や友人たらが、君はかなりの本を集めたが、さらに一歩進めて、いま君が熱心にしている古美術蒐集の一部分として、日毎散逸しているわが国の書籍も集めたらどうか、そのためには君は門外漢だから、古書に明るい専門家の助力をえて立派な文庫を一つ作ったらどうかと、親切な勧告を受け、私もそれは良い意見だと思い、それに従うことにしました。その準備をしている時、丁度有名な古書店の翰南書林を譲るという話が出て、私がそれを引き受けることになりました。今から約26、7年前のことです。

この翰南書林(中略)の業務を長く担当した金同圭氏と、私の親しかった故李淳璜氏と、現在華山書林の主人の李聖儀氏など、古典籍に明るい何人かが協力して、わが国の誇りとなる立派な文庫を一つ作ろうという私の志に賛同して、新しい抱負と意図のもと新しい出発をした訳です」(1932年頃のこと)。

ソウルの自宅で子供たちと 1944年

こうして澗松は有力な協力者を得て、陶磁器や金弘道、申潤福などの絵画の蒐集と平行して、朝鮮の古典籍数万巻に達する蒐集を進めたのである。この成果は、先ず調査を終えた部類を選んで刊行された「澗松文庫漢籍目録」(1967年)に記録されている(ここには、すでに国宝となり「国宝図鑑」第2篇に紹介されている「訓民正音」、「東国正韻」、「琴譜」の三冊は除外されているのであるが)。内外屈指の漢籍文庫を立ち上げたことは、個人の力で成し遂げた大きな成果といわねばならない。

ここでは、「訓民正音」発見に到るエピソードだけを紹介しておきたい。

1940年夏のある日、澗松は翰南書林に立ち寄った。いつも李淳璜が尋ねてきて情報を伝えてくれるので、特に立ち寄る必要もなかったのであるが、何故か翰南書林に向かったのである。窓の外を眺めていると、いつも仲買いをしている骨董商一人がツルマギ姿で急ぎ足で過ぎるのが見えた。様子が何かおかしいので李淳璜にあの人を連れて来てくれと頼んだ。

しばらくしてやって来た人に澗松が笑いながら「急がしく、どこに行くのだね。大事なことでもあるのかね」と聞くと、その人はつい本音を吐いてしまったのである。「実は今、慶尚道安東ですごい物件が出たという情報が入ったのです」「すごい物件とは。もちろん漢籍だろうね」「エエ、すごく大物です」横にいた李淳璜がじれて「早く話しなさい」と催促すると「<訓民正音>原本が出て来たというのです。」

澗松は急に心がつまり、意識がボットしてしまう感じであった。世宗大王がハングルを創制した時、刊行したという原本。存在したということだけが伝説のように伝えられている訓民正音の原本が出てくるとは。

しかし今、日帝は国語教育を禁止し、朝鮮語学会員を弾圧し、朝鮮語学会を解散させるというのに、彼らがこれを知ったら・・・。

「本の主人が1千円を要求したそうです。それで金を準備しようと行くところです」
澗松は、その手を握り、静かに話しかけた。
「私と何度も付き合って知っての通り、物はその価値により代金を払うものです」澗松は1万1千円を渡しながら「本の主人に1万円を渡し、千円はあなたの御苦労代です」

こうして訓民正音は日帝のもとで無事に保存されることになったのである。同様にして救い出された金弘道、申潤福の画帳などなど、話の種は尽きない。その後、同族が殺し合う朝鮮戦争を経て今日に到る経過については、彼の誕生100周年を記念する「澗松文庫」70号をみられたい。

国立博物館を鑑賞する全鎣弼

こうして財を傾け文化財を保護し、尊敬する文化人の生活を援助し、少壮学者に研究費を人知れず伝え、学術誌の刊行を援助した澗松は1962年1月26日、病のため急逝してしまう。まだ壮年の56歳であった。

彼の死後、夫人の金點順氏が財団理事長となり、3男の晟雨氏はオハイオ国立大学で美術学博士となり、4男の瑛雨氏はソウル美大を卒業、さらにソウル大学校文理大考古学科を卒業して、澗松の遺業を継承発展させようとしている。

その後、北壇荘には韓国民族美術研究所が設立され、葆華閣が改称された澗松美術館がその付属博物館となっている。韓国民族美術研究所では1971年以来、5月と10月に美術館を公開し、その図録と研究論文を付けて発行し、第70号では澗松生誕百周年を記念したのである。

〈科学と未来〉から抜粋

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2 COMMENTS

ウェノム💦

名前が難しくて、読めなかった~👀💦
でも、ありがたい事ですね。本人の趣味とはいえ、このように保管してくれたから、今我々が鑑賞することができるんだもんね~😊
それにしても、ウェノムのために、どれだけの文化遺産が奪われたかと思うと、頭に来るねぇ~🤦‍♂️ ウェノム~ ウェノム~🤢

蝉しぐれ

바람 회원 で문근영が描いてた絵!
こう言う人が居たから、後世に伝わったのね!
在日にも高麗美術館を建てた人が居るよね!

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