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韓国の鋼鉄王ー朴泰俊

暗雲ただよう植民地の片田舎に生まれて

韓国ポスコ(旧浦項製鉄所)の初代社長であった朴泰俊の一生は、紆余曲折と波乱に満ちた現代朝鮮史と、その中での現代韓国の急速な経済的膨張を象徴するものであろう。

彼は1927年9月29日、父・朴ボングァンと母・金ソスンの第一子として慶尚南道釜山の近郊の海辺の村、林浪里で生まれた。

漢学を学び、五代前の先祖が東莱郡の官吏であったことを誇る若い父親は、その妻に、「子の名前の泰俊とは、大きくなって立派な人間になれという意味なのだ」と説明した。

もうすでに日帝による植民地の暗雲は、この小さな片田舎の村にも及び始め、次第に田畑が日本人の所有になり、海の漁業権も日本人の個人所有になって行った。

ここで労をいとわず、在日の若い人々のために、植民地朝鮮のいくつかの基本的な問題を確認しておくことにしたい。

1910年8月22日、「日韓併合」条約によって大韓帝国を消滅させ、朝鮮を完全な植民地にした日本帝国(日帝)は、郡ごとに武装した憲兵が警察官を兼ね、従来の行政機構をさしおいて、広汎な行政権から即決裁判権まで行使できることにしたのである。

この体制の頂点に立つ朝鮮総督は、天皇に直属し、朝鮮駐屯軍の司令官を兼ね、三権をすべて集中する独裁者であり、必要に応じて朝鮮総督府令を発して、朝鮮社会を永続的な戒厳令下に置くようにしたのである。公立小学校の教員さえサーベルをつって教壇に立つという社会の雰囲気であった。

経済的には、朝鮮民族の自主的な資本主義的発展を抑圧するため会社設立を認可制にする「会社令」(1910)を公布し、さらに「土地調査事業」(1910~1918)は、近代的土地所有権を確定する(封建制を法的に廃止する)という大義名分をかかげながら、土地の所有権者の自己申告制(無知な農民は申告不可能である)と所有権認定機関(主に日本人による)の運営を通じて、近代的自営小農民の土地所有を圧迫・制限し、かつ伝統的に住民が公共に利用してきた「無主公山」(日本では入会地という)も申告する者がいないからとして没収し、封建的両班地主の所有権は部分的に認めることによって、日本人大土地所有が大量に創出されていった。

総督府も旧王室の封建的所有地をそっくり「継承」して最大の地主となり、それらは次第に東洋拓殖株式会社」(東拓)などに安価で払い下げられた。その結果、植民地以来10年もしない中に、朝鮮の土地の約40%が日本人の所有となり、耕地を失った朝鮮農民は生きる道を求めて流浪の旅に出なければならなくなったのである。

日帝の植民地支配の深化によって、中世的な眠りに入っていた林浪里の村にも、1930年初となると変化が現れ始めた。まず農地を失い、生活の道を求めて村を離れる人が出て来たし、村の浜で共同のイワシ漁やわかめ取りの権利は、いつの間にか日本人個人のものになり、伝統的に認められて来た海の漁をめぐって争いが起こるようになった。

また、この片田舎にも見知らぬ日本人が姿を現すようになった。ある日、二人の日本人が朴泰俊の父親兄弟の前に現れた。染谷そめや相楽さがら、共に日本の大きな土木建設会社であるはざわ組関係の人間であった。間組はすでに東海道本線の丹那トンネル工事に参加しており、日本軍の中国東北部(満州)への侵略の拡大により、国内の土木建設部門に壮年労働者が不足するようになり、朝鮮人労働者の市場調査のため、農村を廻っていたらしい。

朴泰俊の父の兄弟も、この林浪里の生活の将来に大きな不安を感じていた。「代々この村で恥ずかしくない生活をしようと努力して来たが、このままでは子どもたちにしっかりした教育を与えられるか不安である……。」

染谷と相楽も、この二人の兄弟を見て何か惹かれるものを感じたようである。多弁ではないが、落ち着いた動作、子どもの将来を考える真摯な態度…。それで自分の勤める会社が朝鮮人にも「区別」なく賃金を保証し、子どもの教育も立派に出来る生活を保障すること、などを熱心に説いた。

とくに染谷は早稲田大学を卒業し、もの静かで人情味のある知識人であった。後に朴泰俊の一族は、この人と家族ぐるみの付き合いを長く続けることになるのだが、まず兄が「よし、それなら、俺が先に行って見よう。様子を見て連絡する。」と日本へ渡った。

そして、数ヶ月後、「仕事も生活も安定している。お前達も来い。」こうして朴泰俊の父が先に出発し、1933年8月、母と子が父の暮らす丹那トンネルの近くの熱海の宿にたどり着いた。朴泰俊6歳の秋である。

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3 COMMENTS

朝日新聞👍

長い。でも面白い。続きは夜に‥。

今は政治家💦

内容はよくわからないけど、表情が~まさに鉄ですね~👀
少し、室伏に似てる~ ハンマー投げの室伏👀😁 

個人的感想

記事にもあるように、「総合的な考察」を望みます。

韓国発展の為に果たした役割は確かに大きい。
しかし、韓国が民主化に大きく遅れを取った責任もあるのではないかと感じる。
片手落ち。

この間に韓国の若者の命を奪い、一般国民の気持ちをないがしろにした罪は重い気がします。

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