初夏のうららかさを感じよう

韓国の鋼鉄王ー朴泰俊

日本での学生時代、「彼らにはまけないぞ」

熱海は気候も良く、温泉が多く、梅とみかんも有名である。したがって人々の気風も温和であった。朴泰俊は6歳になり、日本語はまるで知らなかったが、熱海に着いて半月程すぎると一人で日本の子どもたちと一緒に遊ぶようになった。日本語も大人より早く自由になっていった。

朴泰俊の父も、誠実な働きぶりと統率力によって同胞労働者の信頼を得て、会社側と同胞労働者の間を仲介する重要な役割を担うことになった。

ここで朴泰俊の渡日から1945年8.15解放までを年表式にまとめて見よう。


1933年8月(6歳)渡日して熱海の宿舎へ
1934年4月(7歳)熱海の海を見渡す山腹の小学校に入学
1936年11月(9歳)丹那トンネル貫通によって長野県の千曲水力発電所建設場へ。(この間に1937年7月、中日戦争開始。1939年秋、ドイツは英・仏と宣戦布告)
1940年4月 長野県飯山中学入学(1941年12月8日 太平洋戦争開始)
1943年4月 4年生となり進学にそなえて4時間睡眠とする。(1943年10月2日 日本政府は学生の徴兵猶予を停止。同年12月24日徴兵年齢を1歳引き下げ)
1944年4月、5年生、17歳となる。進路を考え早稲田大学機械工学部への進学を決意。(1944年8月23日、学徒勤労令公布。─学生、生徒は全員軍需工場へ動員される。)(1944年10月16日、陸軍特別志願令改正。─17歳未満の志願を認める)
 10月18日、陸軍兵役法改正。─17歳より兵役に編入
 10月24日 レイテ沖縄戦─日本・連合艦隊の主力を失う
 10月25日 神風特攻隊、初めて米艦に突撃


朴泰俊の父の苦悩は激しく、民族差別を考慮して、染谷社長に訴え、泰俊を染谷家の養子とした後に、早稲田大学受験をすることにする。

1945年3月、泰俊(18歳)は希望通り早大機械工学科に合格。すでに故国では1944年1月20日、若い朝鮮の人材が大量に日本軍隊に編入される「黒い魔の日事件」が起こっていた。

太平洋諸島に向かう日本軍の補給艦は、その殆どが途中で米軍の潜水艦に撃沈され、幸運にも目的地に着いたとしても、飢餓と悪疾による死が待ちかまえていた。太平洋諸島での日本兵の大部分が溺死と飢餓による「戦死」だという。

早稲田大学のコンクリの校舎も、立ってはいてもすでに空襲により多くの教室の木製の机と床は焼失し、ガラス窓もない状態であった。それでも大学が誇る大図書館は奇跡的に無傷のまま残った。

東京の街の大部分は焼失し、周辺部の民家が焼け残ったが、学生たちが下宿を探すのは殆ど不可能で、1945年8月15日、無条件降伏によって戦争が終わっても、東京における学生生活は困難であった。

朴泰俊は4月、登校して級友と共に写真を撮り、家族のために角帽をかぶった写真も撮った。学校では何日か、学生のために教育方針の説明や教授たちの紹介があったが、情勢はすでに本格的な授業に入る雰囲気ではなかった。学校側では、「学徒勤労会」によって学生たちをどこに派遣するかを決めるのに忙しい状況であった。新入生たちを、できるだけ安全で食糧が保障される「職場」に送らねばならないからである。その間にも朴泰俊は3月9~10日、5月24~25日の東京大空襲をはじめ、毎日のように発令される「空襲警報」の下で暮らさねばならなかった。

7月になって、彼は級友たちと共に群馬県あがつま郡の山峡の村に配置されることになった。若者のいなくなった農村支援ということであろうか。静かな村の生活であったが、ラジオの伝える戦況はいずれも悲報ばかりで、彼はそれを日本の学生には言えない、異なる観点から聞いていたのである。

そして遂に8.15の天皇による「無条件降伏」の放送。ついに彼は生き残ったのである。彼はただちに父の待つ家に帰り、父の判断にしたがって、大学の学籍はそのままにして、帰国の道をえらんだ。

彼には日本での学窓生活によって、自身にはまだ自覚されていないけれども、数学をはじめとする科学知識、完璧な日本語と共に体得した日本文化、水泳や柔道(2段)やスキーと共に体得した体力と社会性と向日的な積極性、異国生活によって自然に培われた民族意識、これらは新時代の建国時代における強力な財産となっていくであろう。

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3 COMMENTS

朝日新聞👍

長い。でも面白い。続きは夜に‥。

今は政治家💦

内容はよくわからないけど、表情が~まさに鉄ですね~👀
少し、室伏に似てる~ ハンマー投げの室伏👀😁 

個人的感想

記事にもあるように、「総合的な考察」を望みます。

韓国発展の為に果たした役割は確かに大きい。
しかし、韓国が民主化に大きく遅れを取った責任もあるのではないかと感じる。
片手落ち。

この間に韓国の若者の命を奪い、一般国民の気持ちをないがしろにした罪は重い気がします。

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