初夏のうららかさを感じよう

韓国の鋼鉄王ー朴泰俊

総合製鉄所を運営する《主体》を育成するために

韓国の総合製鉄事業計画は、1958~1969年の11年間に、7回変更された後、浦項製鉄所建設事業として現実化されることになった。そして浦項製鉄所建設事業は、1970~1983年にかけて5回にわたり推進されて、これを背景として韓国の鋼鉄生産量は急速に増加することになる。

しかし浦項製鉄所1期事業が始められた1970年に、韓国で大規模の一貫した製鉄所についての経験と技術は、殆ど誰も持ってはいなかったのである。

それでは、どのようにして短期間に、高水準の生産性を実現することができたのであろうか。つまり世界的にも高い水準の製鉄所を建設し、管理運営して、生産を実現して行く工場の「主体」は、どのようにして育成されたのであろうか。

浦項製鉄が製鉄所運営に必要な技術を習得した最も重要な源泉は、一言で言えば海外における研修であった。これは浦項製鉄の公式記録にも明らかにされているとおり「工場の成果的な建設や正常の操業を可能にしたのは、何よりも海外の先進工場における委託教育の結果である」と、既存の旧式の仁川製鉄などで働いた人でも、浦項製鉄に入社した後、日本の工場を基本とする海外研修を通じて、最新の施設に接することができたのである。

公式資料によれば第1期の建設および操業のための海外研修を受けた職員数は587名に及ぶという。これらの人々の研修は1969年12月から、川崎製鉄や八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管の各社技術者で構成される日本技術団(Japan Group=JG)によって本格的に始められた。初めは大学卒の社員に対して計画、管理を行う基幹職に限られていたが、1971年からは高卒社員に対する実際の操業、整備などの技能職にも実施された。15~30日の視察が、2~6ヶ月の現場訓練中心の研修に変更されていった。

研修希望者をまず2倍を選定し、準備教育の結果によって半数を選び、派遣に先立って3~6ヶ月にわたり日常会話、鋼鉄用語、外国語、該当分野の専門知識などが教えられ、さらに分野別に班が構成されて、この任務の重要性についての精神教育も行われたのである。

出発に際して、研修員を前にして朴泰俊社長は、こう発破をかけたという。

「諸君は各自与えられた分野の技術を残らず修得して来なければならない。しかし、それだけでは不足である。その外に技術を一つ以上、持って来たまえ。これなくして帰国後、私に再会できると考えないようにしてもらいたい」その後、研修員たちは研修を終え帰国すると、みな朴会長のところに来て、約束どおり与えられた課題の外に技術を一つずつ差し出したという。

JG関係者は、研修員たちに技術はもちろん資料の提供についても積極的であった。

浦項製鉄で初出鋼 1973

それでは日本側が、海外研修員に熱心に協力したのは何故だったのだろうか。
①まず、重要な理由は経済的利益の問題であろう。浦項製鉄の第1期事業だけでも日本のプラント輸出額のほぼ5分の1に当たる1億ドル以上の設備が必要であった。そして、つづく拡張工事も見込まれるし、この事業に成功すれば他の発展途上国からの輸出要請も期待されるのである。
②また、幼い浦項製鉄に対する心理的な優越感もあったであろう。その後の浦項製鉄の急速な発展は予想外のことであった。③また、浦項の研修員と社員の他国に例のない勤勉と能動性に対する教える側の好意がいい結果を出したのであろう。

それはこれからの韓国社会の経済的発展を象徴するものであった。その後の浦項製鉄(のちにポスコとなる)の急速な発展に、日本側も恐れをなして次第に先端技術の伝習には消極的にならざるをえなくなった。

1970年代の浦項製鉄の技術活動は、先進国で広く適用されている標準化されている技術の習得を中心に展開された。すなわち先進国の技術体系とその構成要素をそのまま受け入れ、浦項製鉄という別の空間に移転し活用するという特徴を持っている。その時、問題となったのは移転の速度と精度であった。すなわち製鉄所運営に必要な技術を早く、そのまま習得することが要点なのである。このためには先進国の協調と技術導入側の積極的努力が必要である。見て来たように日本側と浦項製鉄の場合、この2つの条件が良く合致した。日本側は浦項製鉄所建設による経済的利益があったし、浦項のほうでは一つでも多く学ぼうという熱意と共に、効果的に技術を学ぶための制度的装置を整えたのである。ここに朴社長の指揮能力が大きな力を発揮したのである。

浦項製鉄は稼動に必要な技術の習得のため、海外研修と現場の操業習得に中心をおいたが、研修員たちは公式的な教育訓練に参加するばかりでなく、日課の後にも討論会を行って徹底的に訓練対策を講じたばかりでなく、非公式的な講師との関係によって情報収集に多くの努力をしたのである。その上に研修資料の蓄積と習得の成果を社員に伝える講習実施の義務化が制度化されていて、円満な工場稼動が謀られていた。すなわち円滑な稼動のためには導入技術の単純な移植ではなく、導入する側の「主体的な努力」が大きな契機となって工場運営の「主体」が形成されて行ったのである。

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3 COMMENTS

朝日新聞👍

長い。でも面白い。続きは夜に‥。

今は政治家💦

内容はよくわからないけど、表情が~まさに鉄ですね~👀
少し、室伏に似てる~ ハンマー投げの室伏👀😁 

個人的感想

記事にもあるように、「総合的な考察」を望みます。

韓国発展の為に果たした役割は確かに大きい。
しかし、韓国が民主化に大きく遅れを取った責任もあるのではないかと感じる。
片手落ち。

この間に韓国の若者の命を奪い、一般国民の気持ちをないがしろにした罪は重い気がします。

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