10月は秋の気配

韓国の鋼鉄王ー朴泰俊

2011年12月14日、日本の新聞各社は韓国ポスコ初代社長である朴泰俊の死を報じた。その記事を紹介しよう。

韓国の経済成長を引っ張った大手製鉄会社ポスコ(旧・浦項総合製鉄)の創設者で、故・金大中大統領時代に首相を務めた朴泰俊(パク・テジュン)同社名誉会長が13日、呼吸不全のため、ソウルの病院で亡くなった。84歳だった。1927年、慶尚南道生まれ。陸軍士官学校を出て61年の朴正熙少将らによる軍事クーデター後の「国家再建」に加わった。68年、同社創業とともに社長に就任。92年まで経営を陣頭指揮し、同社を世界有数の鋼鉄メーカーに育てあげた。81年に国会議員に初当選後、政界でも活躍。金大中氏の大統領選を支えた。2000年に4ヶ月間、首相も務めた。元韓日議員連盟会長。

旧浦項製鉄(現ポスコ)。65年の日韓国交正常化に伴う経済協力資金も投入された国策会社を計画段階から指揮して世界企業に育て、日本との縁の深さでも知られた。植民地支配下の27年に生まれ、幼少期に日本へ。早稲田大で機械工学を学び、日本の敗戦で中退するまで東京などで過ごした。48年の韓国建設後は軍人に。軍人出身の朴正熙大統領から製鉄所建設の「特命」を受けると、日本との豊富な人脈を生かして資金や技術協力を引き出し、73年には韓国初の高炉での生産開始にこぎ着けた。一方、81年の初当選後、政党代表になるなど国会議員としても活躍。その後、金大中大統領の当選を支え、当時の経済危機では日本からの支援獲得に奔走し、政権を支えた。韓国財政界での「知日派」が少なくなる中、中心軸の一人がいなくなった。

李明博大統領は「わが国の産業化に多大な貢献をした方がなくなり、残念でならない」との談話を出した。

「切磋琢磨した」新日鉄の三村会長

新日本製鉄はポスコと1998年から互いの株式を持ち合っているほか、半製品を供給し合う提携を結んでいるなど関係が深い.

1973年に完成した浦項製鉄所

朴泰俊氏の死去を受け、新日鉄の三村明夫会長は「長い間、ライバルとして、またよきパートナーとして切磋琢磨させていただいた。これからも鋼鉄業や日韓関係の健全な発展のためにご活躍いただきたかった」とコメントした。

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3 COMMENTS

朝日新聞👍

長い。でも面白い。続きは夜に‥。

今は政治家💦

内容はよくわからないけど、表情が~まさに鉄ですね~👀
少し、室伏に似てる~ ハンマー投げの室伏👀😁 

個人的感想

記事にもあるように、「総合的な考察」を望みます。

韓国発展の為に果たした役割は確かに大きい。
しかし、韓国が民主化に大きく遅れを取った責任もあるのではないかと感じる。
片手落ち。

この間に韓国の若者の命を奪い、一般国民の気持ちをないがしろにした罪は重い気がします。

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