「企業家はその事業によって伝記を語る」という方針
これまで辛格浩(重光武雄)が、日本帝国の敗戦によって、朝鮮の「解放」を迎えながら、故郷へ帰ることなく日本に踏み止まり、起業を起こして家族に豊かな生活をさせたいと考え、まず化粧品の生産と販売によって「ロッテ」という会社を作り、つづいてチューインガムの製造・販売によって大企業になり、次いで菓子の高峰であるチョコレートの製造によって、日本の製菓界を代表する大企業になったことを見てきた。
この間、重光青年は企業における大きな成功を重ねながら、さまざまな質問があったであろうが、プライベートなことについては一切、沈黙を守り、「企業家はその事業において伝説を語る」という方針を貫いたのである。
伝記といえば、少年時代の性格やエピソード、家族や父母兄弟、交友での特徴、異性との関係、学校生活、その後の社会活動などの情報より成り立つであろうが、重光武雄はこれらについて固く口を閉ざしてきた。
ただ自然に漏れてくるプライベートないくつかの事実については、次のようなことが知られている。まず時期は確かでないが、同族の女性と結婚したらしく故郷で育った娘がいること(長女英子(영자)氏、当時ロッテ福祉財団理事長)。その後、日本で生活しながら初子という女性と結婚し、長男東主(동주)と次男東彬(동빈)氏がおり、それぞれ副会長として日本と韓国における事業の後継者となっていることなど。
健康の秘訣について聞かれると、それには答えざるを得ず、次のように述べている。
「大した健康管理法はありません。朝起きると庭で草取りをし、ゴルフのスイング練習を40分ほどします。そして毎週一回ゴルフ場に行きますが、一時はハンディが12位でした。」
彼が所有する立派なゴルフ場があって、ここに彼は交際を希望する日本の政財界人を招待して交流していることが知られている。政界では岸信介元首相などとの深い関係も知られている。
一時は日本のゴルフ場の会員権を200も持っていたようである。ゴルフを通じての交流の手法は、その後、韓国への進出の時にも活用された。
飲食については、次のように答えている。「韓国料理や日本料理はよく食べます。酒は昔はよく飲みましたが、近頃は殆ど飲みません。タバコも若い頃はひどい愛煙家でしたが、一切やめました。かっては人参酒も好きでした。」
その後の日本におけるロッテの企業としての成長はよく知られている。ガム市場の70%を占めるロッテ製菓をはじめとして、不動産、電子、プロ野球球団など、ロッテ・グループは食品部門にとどまらず、多方面に手を拡げ、現在、日本の経済界に確固とした地位を築いている。
へぇー 偉いね👌
と言いながら、全部読めない😢
だって長いんだもん😓
小説一冊くらい💦
初めと最後だけ読みました。笑
朝は時間切れ。帰ってきたら真ん中読もうかな。🤣
重光さん大好き、도꾜제일の近くに東京スタジアム🏟ロッテオリオンズの本拠地小学校の時、試合がある日はほとんど行った小学生無料だった⚾️同級生とアルトマン、ロペス、有藤選手大好き💕優勝🏆した時はグランドに降りてハシャギまくってた懐かしい🙆♂️又錦糸町のロッテ会館の우리동포の結婚式の聖地、地元墨田지부に所属してた頃ロッテ会館に💐結婚式🤵♂️👰♀️の打ち合わせ지부위윈장と行くと在日朝鮮人特権50万円値引き🫢何組もやってもらいました。重光オーナーには何回かお会いしましたいい人でした。🙇♂️
2日かけて読み終えました。
読み進めるうちに、どんどんハマっていきました。
「家族に豊かな生活をさせたい!」
そこから始まった快進撃。
在日のヒーローですね。
高校時代、新宿駅内のロッテリアに通った頃を懐かしく思い出しました。