春のうららかさを感じよう

年始は高麗神社と聖天院から

私の年始は高麗神社から始まります。
1300年前に一人の王族の元に引き寄せられ 武蔵国の未開の地に1799人が移住してきました。普通は漢字で「高麗」と書かれていれば、「こうらい」と読むが、高麗(こま)神社と読ませることに意味があります。

かつての朝鮮半島の北部に栄えた高句麗から、王族の若光と共に高句麗人1799人が移住しました。彼らはこの地を開拓し、若光は西暦716年に高麗郡の首長になります。若光がこの地で没した後、高麗郡民が彼の徳を偲び「高麗明神」として祀った、1300年の歴史がある高麗神社です。

参道の右に将軍標と呼ばれる2対の像があります。出入口で邪気の侵入を防ぐ魔除けとして、朝鮮半島の風習により造られたようです。高句麗との関係の深い神社だとわかります。それぞれの像に描かれている顔を見ると、ユニークな表情をしています。

寺社仏閣名を示す門の扁額(へんがく)には「高」と「麗」の文字の間に、小さく「句」の文字が入っています。 そう、本来は「高句麗神社」なのです。この扁額は1900年にこの神社を訪れた趙重応の筆によるものです。高句麗と後に興った高麗の国を区別するため、小さく「句」の字を入れたと伝えられています。

神社を後にし聖天院へ。外見は日本のお寺と変わらないように見えます。若光は徳のある人格が慕われ、未開の土地を開拓した功績により高麗郡の首長になりました。そのことから、こちらは若光の菩提寺として、出世開運のご利益があるとされています。

雷門を右に進むと若光を祀る高麗王廟があります。前にあるヒツジの石像が印象的です。更に右に進むと整備された高麗殿ノ池があり、左の雷門へ戻ると弘法大師像があります。

長い階段をあと少しで上がりきる場所で、見事な仁王像が出迎えてくれます。

聖天院の本堂は当初から、現在の場所にあったわけではないようです。特に本堂の老朽化がひどかったので、裏山を整地して新しい本堂を建立しました。

本堂脇には、福島県の有名な「三春の滝桜」が献木されています。「高麗神社」と「聖天院」は、桜の名所としても知られています。

鐘楼を左に進むと、山腹を切り開いた細い道が続いています。ここに在日韓民族無縁仏の慰霊塔があります。ここまでの聖天院は、どちらかと言うと高句麗カラーというよりも、日本のお寺の中にいるような感覚がありますが、ここは韓国文化を感じる場所のひとつです。

八角形の建物は、どこかで見たような気がしたので調べてみると、ソウルのタプコル公園(旧パゴダ公園)にある八角亭に似ていますね。

その昔、高句麗の人々によって開拓された土地に築いた高麗神社と聖天院を巡りました。

ここは高句麗の文化と日本の文化がミックスされた光景を観ることができます。去年できなかったことも含めて、今年ぜひまた機会があれば訪れてみたいと思いました。

(高句麗の末裔)

2 COMMENTS

🌸

桜の季節と彼岸花の季節に何度か行ったことがあります。快晴の青空とセットン?(笑)の鮮やかな色が瞼に残ります。新年の目標を決めるために出かけてみようかな?と思いました。投稿者さんの完璧な動画と写真の数々、優しい解説に心癒されました。ありがとうございます(^-^)

勤勉が一番

高麗神社は小学校の遠足以来行ったことが無かったな~。子供のうる覚えの記憶とはだいぶ違いましたね。近くに巾着田がありましたね、古代の高句麗の人たちが湾曲した高麗川を利用してこの周辺を開墾して田んぼを作り、稲作を伝えたと言われている所ですね。今は彼岸花の群生地みたいになっていると聞きました。川の流れをうまく利用し、荒れた大地を開墾し生き抜くために一所懸命に働いたんだろうな~、あの勤勉性はどこに行ったんでしょうか?

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