具仁会会長の経営理念
具仁会の生涯と、その経営活動の紹介を終えるに当って、具仁会会長の経営活動を通じて、一貫して守られてきた精神的、そして実践的な行動の指針というものが次第に明らかになってきた。
それについて、具仁会の伝記についても多く依拠した文献にある金聖寿教授の「蓮庵 具仁会・上南 具滋暻の生涯と経営理念」の中に、具仁会の経営理念として、次の十カ条にまとめて包括的に述べられている。韓国経営史学会の権威者の指摘として注目すべき指摘であるので、紹介しておきたい。
具仁会のいう人和とは和気ということである。和気とは互いに信じ、たがいに理解し、たがいに大切に付き合う時にかもし出される雰囲気であるという。この人和の中に偉大な事業が達成され、幸福な職場が実現される。したがって最高の経営理念とは人和が最高だといわれるのである。
この人和の経営理念がいかに成功裡に実践されてきたかは、LGの成長過程の中に具現されており、人和団結の経営理念こそ家族主義的韓国的経営を発展させてきた原動力であるというのだ。
樂喜の時代から、彼は家族主義を否定せず、親戚や知人、同郷の縁故で就職の依頼は、増えるばかりであったが、彼はそれらの願いに耳を傾ける誠意をつくしたという。
しかし一家親戚といえども特例をもうけることなく、一番下の職場から徹底して学び、経験を積んで能力のある人材のみを重要な任務につかせる原則を貫いたという。
とくに長男の滋暻に対しては厳しくしつけ、儒教的家族主義の共同体思想を経営理念に明示し実践したといわれる。
具仁会の「けちん坊哲学」は有名だ。彼は金の魔性を良く知り、勤勉で倹素、節約し貯蓄に努めた。しかも必要なところには迷うことなく大金を使うという独特の用銭哲学を持っていた。これについてのエピソードは多い。
彼の一生は「創業と開拓の時代」といえる。その経営理念は挑戦と開拓主義による経営の実現として表されよう。それはLG50年史として歴史に残されている。
具仁会は、つねに「信念のある時、人間は恐るべき力を発揮する」と言い、それを自らの実践で示し、それを企業の経営活動に参加する人々に周知させてきた。
儒教の伝統的思想を基本として近代的資本主義の道を歩んできた彼は、新しい事業に挑戦する時、必ず成就せねばやまぬという信念を貫き、それを経営理念に昇華させてきたのである。
彼の経営理念の中で重要な場を占めているのが人間尊重経営主義である。彼は1950年代の後半から人材確保の方針から大学卒業生を対象として公開採用制度を実施したのが始まりである。
彼が事業を始めた時、血縁と地縁を中心として人材を採用したのであった。兄弟、親戚を中心とした経営体制が支配的で、非公開的な特採が典型化してきた。
しかし、一方で人材の重要視に徹底していた。人材を育成してこそ企業が大きくなれるという信念があったために、LGの歴史に名前が残る幹部たちを常務として次々と入社させたのである。この方針が彼の企業に政策化され、今日の繁栄をもたらしたのである。企業が熾烈な競争に勝ち残るためには、何よりも人材をよく使いこなし、また選び出した人材をよく磨き鍛えて、持てる能力を充分に発揮できるよう条件をととのえることが必要だと考え、人間尊重の創業理念として確信されていった。
具仁会の技術革新の経営理念は研究開発の土台の上になしとげられて行った。その研究開発による新商品、国民生活に利する新商品の開発は、韓国化学産業、電子産業の原動力となったことはよく知られている。
とくに電子産業の開拓は1958年10月、韓国最初の電子工業会社である金星社が設立されて以来のことである。
国民生活に革新をもたらした金星の電子技術は冷蔵庫の開発、TV受像機、エアコンの開発、洗濯機・厨房器具の開発、エレベーターの開発となり、通信事業の開発は電話機生産、交換機事業の開拓などとして具現された。
そして油脂工業への進出は合成洗剤産業、多様なプラスチック加工製品の開発、ビニール製品の開発と各種技術の導入と国際技術交流の開始によって技術革新が加速化されたのであった。これらは具仁会の創業初期以来の不断の研究開発の努力の結果であることが証明されている。
今日、LGの社訓、企業倫理綱領の基本として継承されている経営哲学が、まさに国際化、世界化主義と正道経営合理化主義である。
1965年、半島商社は韓国を先導する主導業体として旺盛な企業活動を示し始めた。
はじめにガーナのナイロビにケニア出張所を開き、日本の東京、米国のニューヨーク支社、1968年にはインドのニューデリィ支社、西独のフランクフルト支社、ハンブルク支社などを新設して国際化を積極化したのである。
また、正道思想とは、大自然の摂理にしたがい正しい道を歩む法則をいうのであるが、自己の任務に対して最善をつくしながら合理性にしたがう経営思想を意味する。
このような正道思想は、第二世の具滋暻によって本格化されるのであるが、その根本は具仁会の壮年期後半に出てくる新しい経営合理化の方法であることを認めねばならない。
報国とは、国家の恩義に報いることであるが、植民地時代、主権を失い日帝の圧政を体験した彼は、解放独立を迎え、企業の自由を保障されて、事業を通じて国に報いることを多く考え、次第に信念化されてきたのである。
経営の過程で困難もあったが、国家権力による密輸品に対する統制令によって外国製のラジオや各種の電気製品が姿をけし、自社製品が販路を得て勢いを取り戻すこともあった。
創立23年を迎え樂喜化学は株式を大衆化させ、国民企業として再生することとなった。これを契機に、樂喜の株は一般人に紹介され、株価は継続して上昇して行き、他企業も株を公開する起爆剤となった。
何よりも、LGで開発した創造的な製品の国産化によって外国商品を圧倒し、国内消費市場の販路を変化させる決定的な契機となったのである。
具仁会の製造業への意志は、つまるところ国民生活便宜主義に集約される。彼はつねに「人のできないことを選択せよ。国民生活に必要なものから始めよ」であった。彼が事業を始めたのは韓国がいまだ低開発国であり、一人当たり国民所得はいまだ約30ドルに過ぎない時代であった。
1947年、樂喜クリームを生産し、1950年代にラッキー歯みがき、1959年はじめてのラジオ生産、1961年、国内最初の白黒TV、1969年、国内最初の電気洗濯機と厨房具生産など。彼の企業は国民生活便宜主義を貫いてきたといえよう。
具仁会は国民生活の向上と経済の復興こそ国民の活路であると考え、生活必需品製造の樂喜化学工業社を設立して、その第一線で国民生活向上と、自己の企業の発展のため働いてきた。それこそ樂喜金星の始源であり、韓国の産業発展の貴重な基礎となったのである。
〈科学と未来〉から抜粋
まさに一族財閥ですね~😊 役員に「具」さんだらけ~💦
日本にも大物の「具」さんがいたけど、親戚かな?
それにしても、韓国といい、中国といい、ロシアといい、財閥が幅を利かせますね~👀
それなりに企業努力があるんだと思うけど~👍