【東京朝高】アーカイブ写真⑩-民族教育の一大高揚期

総聯の結成、ウリナラから送られてきた教育援助費、在日同胞たちの朝鮮への帰国の実現、朝鮮大学校の創立など1960年代、在日朝鮮人運動が全盛期を迎えるなかで民族教育も一大高揚期を迎えます。ウリハッキョに通う学生たちが劇的に増加しました。

校舎全景 1960年

先生たちは学生たちを立派な朝鮮人として育てる決意を一層強くし、ウリマルの習得と教科の個別指導を粘り強く行いました。

「家庭科」裁縫の授業
中級部の授業風景(1960年)
姜春子先生と編入班の学生たち(1960年)
学生指導をする姜春子先生

民族教育の水準向上には、教員を体系的に養成することが切実に求められました。このような要請に基づいて1962年には師範科が設置されます。師範科の学生たちは3年間にわたり教員になるための教育を受け、卒業後は朝鮮初級学校の教員として配属されます。

師範科2期生の授業風景(1963年)

1 COMMENT

匿名と言う名の匿名

東京中高にも師範化がありました。
売店の上の2、3階が寮で、全国から集まって来てたそうです。
確か小学校の担任がそうでした。
高1の頃はまだ布団とか残ってましたね。
いつ頃なくなったのか解りませんが、元同僚の5つ上の先輩教師も茨城朝高卒業して東京で師範科に行ったと言ってましたから我等が入学するちょっと前位まであったと思います(多分です…笑)
「東京は全国のオモニ学校だ」と聞いた覚えがあります。

現在コメントは受け付けておりません。