子どもの頃、たまたま知った日本人の大人から「家はどこや」ときかれ、「生野の猪飼野です」と返事したら「チョーセンの多いとこやな」と言われた。
そのチョーセンという言葉が侮蔑的なイントネーションに感じた。そんな”チョーセン”と言う日本人を、僕は憎んだ。やがては自らも「チョーセンやないけ」と自虐的に言うことを覚えてしまった。
大阪の多くの日本人にとって「猪飼野」はチョーセン町である。だから彼らは1973年、この町名を消した。それからは「中川」である。でも中川になったからといっても、何も変らなかった。
「家はどこや」
「生野の中川です」
「中川いうたら、前の猪飼野か」
「そうです」
“猪飼野はなくてもある町”である。
でも、堂々と生活していたんですね~ 豚を飼いながら~
近隣の日本人は圧倒されたんじゃないかな?👀 そのニンニクパワーに💦
何故か「チョーセン人」と聞くと差別的に感じちゃうな。
あと、「バカでもチョンでも」。
バカでも朝鮮人でも…と言う差別用語と言うのは有名な話。
だから私は「バカチョンカメラ」とは絶対言いません。😤😤
平均的な日本人はダイレクトに「朝鮮人」とは言いにくいようで、「朝鮮の方」というふうに婉曲的に表現します。心にわだかまりを感じるからでしょう。「朝鮮人」でいいのに、もどかしさを禁じえません。とはいえ、差別的な日本人に「朝鮮人」と言われれば、やはり怒りをおぼえます。